百歳以上が五万八千人

 昨日の新聞によると国の統計で百歳以上の人が五万八千人になったとのことである。確か一昨年は四万七千人になったとか言われてびっくりしたことを憶えているので、毎年四〜五千人ぐらいのペースで増えていることになる。これだけ多くの人が百歳以上も生きられるようになったことは喜ぶべきことであろうが、一方でこの勢いで増えて行くとどういうことになるのだろうか。空恐ろしいような感じさえする。

 金さん銀さんがテレビの人気者になったのはいつの頃であったであろうか。まだあの頃は百歳を越えた人が珍しい頃で皆から祝福されたものだったが、最近では、日常会話でも「うちのおばあちゃんが百何歳かで老人ホームに入っている」とか「うちの母が先日百何歳かで亡くなった」とか言う話を普通に聞くようになった。

 五万八千人のうち八十七%が女性だそうだが、元気で日常生活が普通に出来ている人がどのぐらいの割合なのであろうか。有名な日野原先生もこの頃は車椅子らしいので、百歳を超えて普通の生活が出来ると言うことは中々困難なのであろう。百二十歳ぐらいが人生の最大リミットと言われているので無理もないことではなかろうか。健康寿命を越えた人が過半数のようである。

 人口だけからすると、五万人といえばもう立派に市を構成出来る数である。百歳以上の人だけのセンチネンシャル・シティも考えられないこともないが、普通に社会生活が出来る人がもう少し増えないと無理であろう。市長さん始め皆が百歳以上の人ばかりなら、電車やバスの運転手さんも、警察官や消防手も皆ゆっくりしていて親切だろうし、泥棒も百歳をこえればそんなに手荒なことは出来ないだろうから、万事テンポの遅い落ち着いた暮らしやすい街になるかも知れない。

 そんな夢のようなことは兎に角、百歳の人がそんなに増えるということは当然もう少し下の年寄りも増えているわけで、七十五歳以上のいわゆる後期高齢者が八人に一人の割になるそうである。六十五歳以上の老人となると三千三百万人というからもう立派な一国の人口である。さらにこれが二千三十五年になると、六十五歳以上が三分の一、七十五歳以上でも五人に一人の割合になるそうである、。

 普通働く人の定年が延びて六十五歳と言うから、これだけの人を若い人が養って行かなければならない計算になる。老人だから病氣を持っている人も多いだろうし、足腰の不自由な人、認知症やその気配のある人も大勢いる。

 こうなるともう長寿を祝い老人を敬うなどと言ってられない。老人にももっと働いてもらわなければならないし、年金や医療費も節約してもらわなければという声が若い人から聞こえてきても当然であろう。

 もう老人も昔のように悠々自適の隠居生活だなどといっておられない。少々体が悪くても出来るだけ医療は受けず、衰えた体に鞭打って働いて、なるべく若いものの世話にはならず、弱れば尊厳死でも考えて適当な時に人生におさらばするようにしなければ、社会に迷惑をかけることになる。こんな風に暗に脅される事態にもなりかねない。

 あからさまにそんなひどいことにはならないにしても、最早長生きすればする程良いというものではなく、老人は元気で身体的にも社会的にも自立出来る間を人生の限りとして、後は社会に迷惑をかけないようにそれぞれ最後の処理を考えた方が良いような雰囲気の社会になって行く恐れはある。

 長寿を喜んでばかりはおれない。老人に取っても段々済み難い世の中になりそうである。