広島の土石流災害

 先日の集中豪雨によって広島郊外の住宅地で起こった土石流による被害は死者に行方不明者を合わせると百人近くにもなるらしい。新聞によると長さ11キロにわたって50ヶ所もの山裾が崩壊し、土石流が多くの住宅を押し潰したという。

 まだ明けやらぬ真っ暗な午前3時か4時頃の突然の集中豪雨では、住民たちは大雨で裏山が危ないと思っても、外はまだ真っ暗で大雨が降っているとなれば簡単に逃げ出すことも出来なかったであろう。危険を犯して真っ暗な中に飛び出すより家の中で待機していた方がむしろ無難なことが多いのではなかろうか。

 逃げる間もなく土石流に巻き込まれて亡くなられた人たちや、命は助かっても家が流されたり、潰されたり、泥水に浸かって多くの財産をなくされた方々には衷心よりお悔やみ申し上げるより他はない。

 今回の事故でも新聞はまたしても「記録的な大雨」とか「想定外の出来事」のような言葉を使っているが、本当にそうなのか。最近はあまりに似たような言葉が使われ過ぎているような気がする。

 災害現地の航空写真を見て、かってモノレールだったかに乗って広島市の郊外を見物に行った時のことを思い出した。広島の周辺は中国山地に続く小さな山だらけで、その山と山の間の谷を埋めるように住宅地が広がっているのである。あちこちに山や丘にへばりつくように小さな家がぎっしり立ち尽くしている景色を見て、その時もふとあれではいつか山の斜面の崩壊などが起これば大変だろうなと思ったことを覚えている。

 しかし同様な景色は何も広島に限ったことではなく、日本国中どこでも都会地に近い山裾の住宅地では当たり前のように見られる光景で、我が家の近くを散歩していても切りたった崖の上や下にギリギリいっぱい建てられている見るからに危なそうな家がいくらでもある。それにこれまでも集中豪雨や地震などで流されたり潰されたりした家の実例もいくもらもある。

 もちろん建築の基準などがあり、危険が明らかなところには建てられないことになっているのであろうが、平地が少なく土地代が高いこの国では少々危険を犯してでも建てないと人の住むスペースを確保出来ないという事情もあって無理をしている面もあるのではなかろうか。

 今回のような土石流による被害はたまたま想定外の未曾有の天変が起こったためではなく、私のような素人が見ても起こっても当然と思われるような出来事である。最大の原因は自然を畏れぬ人間の浅はかな傲慢さによるものである。

 あのような場所に住宅を建てることをもっと厳重に監視して建築の許可を降ろさないように規制することが先に考えられるべきであろう。いつも犠牲になるのはこういうところにでも住まざるをえない細やかに暮らしている庶民である。

 福島の原発事故の時も盛んに「想定外」という言葉が繰り返されたが、自然は愚かな人間の想定外のことも起こし得るものだという前提のもとに危険を避ける工夫をすることが人智というものではなかろうか。

 このような防ぎ得る災害で命を失う人のいることは文明の恥である。人間はいつになったら自然を征服し得るものとする傲慢さを捨てて謙虚に自然に対することが出来るようになるのであろうか。