自己欺瞞

 どうも日本では具合の悪いことは違う言葉に置き換えて誤摩化してしまうことが他所の国より多いような気がする。

 明治の時代にも、明治維新は英語でいえば革命と同じRevolutionであるのに、あえて「御一新」は革命ではないとして、古い言葉から探して来て維新とつけている。フランス革命とは違うのは当然であるが、革命と言っても皆違うのだから、明治維新も「御一新」なのだから革命でもよいであろうが、色々な思惑で維新とされたのであろう。

 その後も政治的な出来事となるとその「いろいろな思惑」が働くので、為政者はいつも都合の悪い時には言葉を言い換えて誤摩化そうとしてきたようである。ことに戦争になると負け戦を隠すために全滅は玉砕、退却は転進と言われた。

 その前にも日中戦争は国際条約などで問題となることもあって、戦争でなく事変とされたし、第二次世界大戦にあれだけ大敗しても敗戦と言わず終戦と言い、占領されたのに占領軍は進駐軍と言われた。その挙げ句が憲法に反するため軍隊と言えないので自衛隊となり、戦車が特車と言われたりした。

 この戦争も戦争中には大東亜戦争と言われていたのが、戦後は太平洋戦争と言われるようになり、まるで戦争は太平洋でアメリカと戦っただけで中国大陸では戦争がなかったかのような名前になってしまった。

 名前だけならよいが名は体を表すで、都合の良いようにつけた名前に自分たちが誤摩化されることにもなって、(それが目的だったのかも知れないが)中国との戦争の方が早く遥かに長かったし、それが太平洋の戦争の元々の原因であったにもかかわらず、故意か偶然か忘れられてしまい、まるでアメリカとだけ戦争をして負けたような感じになってさえいる。

 アメリカとの「太平洋戦争」についてはあんな無謀な戦争をしてなどといろいろ反省がされても、中国には負けたこともうやむやに、侵略に対する深い反省の様子もない。それどころか最近はもう一度戦争でもしかねない強い態度でさえ望んでいる。朝鮮半島に対する態度も同様である。

 戦時中の都市の大空襲や原子爆弾の被害などについては色々語り継がれているが、慰安婦南京事件など加害の面については出来ればなかったことにしようとしているかのごとくである。戦争には必ず加害と被害が伴うものであるし、わが国が無条件降伏をして戦争が終り、やっと平和を回復させてもらった歴史を忘れるべきではない。

 それが歴史の真実であり、よくても悪くても事実を曲げることは出来ない。自己を欺かず、そこから現状を把握し将来の展望に結びつけるべきであることを認識すべきであろう。