四季から二季へ

 近年になって、この季節になると毎年思うことがある。昔から四季と言われて来たが、最近はどうも春や秋の気持ちの良い季節が短くなってしまって、冬から夏へ、夏から冬へと季節が急転して、まるで四季が二季なってしまったような感じである。

 例年、桜が終わった頃には、冬が終わり、春がやってくる。炬燵を片付け、冬物の衣装をしまい、合服に着替え、次々に咲く花々を愛でながら、寒からず暑からずの気持ちの良い日々を楽しめる季節である。そのうちに次第に暑くなって行って、やがて梅雨に入り、夏がやって来る流れだったが、近頃は何だかその春が殆どなくなり、冬から春を飛ばして一気に夏がやって来る気がしてならない。

 今年などは暖冬で、桜も例年より10日ぐらいも早かったが、その後も寒い日が続き、4月いっぱいは小さなストーブでもないと、まだ朝は足元が寒く、5月の連休まで、炬燵も片付けられなかった。ところがその頃から、朝夕の温度差が大きくなり、朝はまだ寒くても、昼間の気温は急に高くなり、炬燵に入りながら「もう夏日になります」と言うテレビの気象予報を聞いて驚かされた。今年はヒートテックの下着を終えたのも、連休過ぎだったのではなかろうか。

 そう思っていたら、二、三日前には、関西から西日本にかけて、例年より早くも、もう梅雨入りだとテレビが告げ、以来雨の日が続いている。私の記憶では、例年は4月中はまだ寒く、雨なども多いが、5月の連休になった途端に、急に暖かく天気も良くなり、五月晴れの気持ちの良い日を楽しめることが多かったのに、近年は地球の温暖化のせいなのか、寒い冬が終わったかと思えば、忽ち夏がやった来て、寒からず暑からず丁度良い季節が殆どなくなってしまったような感じがしている。

 こう早く梅雨入りしてしまっては、ジメジメした日が続くばかりで、折角の五月を、晴れた青空の元で、気持ちの良い空気を一杯吸って、戸外を散策するといった日も無いまま、夏入りしてしまうのではなかろうか。梅雨が開ければ、途端に暑い夏がやってきて、ギラギラ光る炎天下で、汗びっしょりになりながら、出来るだけ直射日光を避け、「水分を取れ、水分を取れ」と言われながら、寝苦しい夜を過ごさねばならない日が続くことになる。

 昔は老人にとっては、冬が禁物で、冬に脳卒中などで死ぬ人が多かったものだが、近年は、冬より夏の暑さで熱中症にやられたり、それを免れても、夏の暑さにやられて衰弱し、秋に亡くなる老人のケースをよく聞くようになった。

 夏の続くのも長くなり、昔から「暑い寒いも彼岸まで」と言われてきたものだが、最近は十月になっても、半月ぐらいは夏のままの上着なしの人が多くなっている。紅葉も1月近く遅れているようである。私の記憶では、十一月の初めに行った小豆島の寒霞渓が丁度真っ盛りだったし、箕面の紅葉も十月末が見頃とされて来たものだが、今や最盛期は十一月の終わり頃と、大分ずれてしまっている。また昔12月8日に京都で、枯れ枝に僅かに残った紅葉を冬入りの象徴として見た印象が強いが、今はまだ紅葉を惜しむ人通りが絶えない。

 秋も短く、夏から秋を飛びこして一気に冬になってしまう感じである。昔の衣替えの伝統から、この国では6月初めと10月初めには制服が一斉に替わり、その急変ぶりに驚かされると共に、季節の変化を感じさせられたものだったが、最近はその伝統も変わって来ているようである。どうも近年は夏と冬が長くなって、折角気持ちの良い春と秋がその間に押し込まれてしまって、まるで四季が二季になったかのようなのである。

 先日こんなことを書いていた後、梅雨入りだとか言って、このところ毎日雨の日が続いている。熱中症の話も出るが、日差しがないためか薄ら寒く、気温は15〜6度から24〜5度である。シャツだけでは寒くて、しまったカーディガンを、また出してきて羽織ったりしている。こうなると、雨空で気は晴れないが、二季と言ったが、やはり四季があり、これが今年の春なのかも知れない。しかし、やはり5月晴れの明るい空の元で気持ちの良い空気をいっぱい吸えるような日々を春と呼びたいものである。