敗戦から80年

 また敗戦の日がやってきた。もう80年も経つが、いつまで経っても、つい昨日のことの様に思える。

 江田島海軍兵学校の校庭で、天皇の”玉音放送”を皆が整列して聴かされた。ひどい雑音入りだったが、”耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・”という天皇の言葉を難き、日本が戦争に負けたことを知らされた。終わって、校長が”我々はとんでもない間違いをしてしまった。どうか君たちが、将来これを取りもどして欲しい”という様な訓示があった。背景にしきりに蝉が鳴いていたのが忘れられない。

 その日の朝まで鬼畜米英、最後の決戦、本土決戦、帝国海軍は最後まで戦うぞ、天佑神助、神風が吹く、などと言い、もうこれはどうなるか分からなかったが、最後の決戦、特攻攻撃で天皇陛下のために死ぬよりないと思っていただけに、敗戦を知り、何か裏切られた様な感じとともに、ちょっとホッとした様な気も感じたものであった。あとはもう急激な変化についていけず虚脱状態で、何をどうして良いかも分からず、ただ呆然として過ごすよりなかった。

 日本刀を抜いて「帝国海軍は最後まで戦うぞ!貴様たちは最寄りに特攻基地へ行け」と檄を飛ばす上級生もいたが、荒れることもなく、平穏のうちに閉校、引き揚げということになった。こうして故郷へ戻り、生駒山の静かな佇まいを見て、つくづく「国敗れて山河あり」と感じたが、以来虚脱状態に陥り。ただ呆然と日を送ったのであった。

 それから早80年、思い返せば、大日本帝国は消失し、新しい日本国が作られたが、主権は占領軍、新たな平和憲法がつくられ、やがて独立国になったが、日米安保条約で日本の主権より駐留米軍の権益が優先する、米国依存の米国の従属国になってしまった。以来その従属関係が80年も続いているのである。

 明治時代の不平等条約も四、五十年で解消されたので、半世紀も経てば、また完全独立が出来るのではなかろうかとも考えていたが、それもかなわず、80年が過ぎてしまった。フィリピンの如く、もう半永久的にアメリカの属国を続けるのであろうか。

 米国に乗せられ、安保条約の元で、今や中国に対する臨戦体制に組み込まれている。しかし、日本が中国と戦わねばならない必然性は何もない。敵にするより、友好関係を強める方がはるかに利益が大きい。今では最早、勝てる相手でないことも明らかである。このままアメリカに乗せられて、中国と対立するならば、必ずや将来どこかで国の破綻にまで追い込まれるであろう。

 遥かに歴史も長く、地理的条件にも恵まれた中国や朝鮮半島と日本の長い歴史の関係を大事にして、発展させることにしか、日本の将来の発展の道はないのではなかろうか。そのためには、どこかで日米安保条約を改正し、日本が真の独立国として中立の立場に立つことが不可欠である。

 どこからもあまり声があがらない様だが、日米安保条約を改正して、日本が真の独立国になることを心から願うものである。