雪を待つ

 雪国の人には申し訳ないけれど、雪の殆ど降らない大阪に住む者にとっては、「折角冬の寒さを我慢するのなら、時には雪景色でも見せてもらわなくては」といった気持ちが強い。

 雪景色は雪が周囲の全てを浄化してくれて、清々しい感じのする非日常的な光景を見せてくれるので、見るたびに心が動かされる。それが滅多にないことだけに、もう一度という期待感が大きい。雪のない台湾の人が北海道に憧れる気持ちも良くわかる。

 昨年の暮れには、気象予報で近畿地方もで雪の予報があったので、この暮れから正月にかけては、ひょっとしたら雪景色が観れるかも知れないと期待していたが、また外れてしまった。いつものように、近畿の雪の予報の当たるのは、日本海側や、せいぜい京都あたりまでで、近年大阪まで雪が降ることは滅多にない。それでも滅多にないことなだけに、雪情報がある度に今度はちっとでも降ってくれないかなあと、淡い期待を抱くのである。

 昨年はとうとう雪景色を見ることなく、冬を終わってしまった。今年こそはと期待するのだが、どうなることやら。天気予報では、また寒気がやって来て、あちこちで大雪になるからといっって注意が促されている。雪国の人の大変さはよくわかる。我々のように年寄りだけでは雪かきなどもう無理だし、まして屋根の雪下ろしなど、どうしようもない。それでもやはり一冬に一回ぐらいは、雪景色が見られたらという願望は捨て切れない。

 家々の屋根が真っ白になり、木々の梢に雪が積もり、五月山もすっかり雪で覆われて、周りすっかりの景色がすっかり白黒の墨絵のようになり、白い道路の轍の跡や足跡が刻まれ、突然現れた幻想的な世界に、思わず飛び出して行って写真でも取ろうとしたのは、いつのことだったであろうか。アメリカの孫が来ていた時に雪が降って、庭で雪だるまを作ってやったのも、もう二十年以上も前のことになってしまった。

 地球温暖化の影響なのかどうかは知らないが、最近は一冬を通して見ても1〜2回雪がちらつくぐらいで、銀世界と言われるような雪景色は全くなくなってしまった。一番最近の近所の雪景色といえば、何年か前に、朝まだ暗いうちに出かけた時に、角の新しい家で、主人と息子で、門の前のアスファルトに積もった僅かな雪を転がして、小さな雪だるまを作っているのを見た時であろうか。夕方、帰り道にどうなったかとのぞいてみたら、もう溶けてしまって何もなかった。その時の子供が、もう今ではすっかり大人になっているので、少なくとも、もう4〜5年は経っているのであろうか。

 天気予報ではまだまだ寒気がやって来て大雪になると言っている。そのほんのおこぼれでも良いから、大阪にも春までには、一回ぐらいは雪景色を見させてくれないものかと、少年のように今も期待している。