介護労働者の待遇改善を!

 厚生労働省によれば、介護施設職員らによる高齢者虐待(19年度)は644件(前年度621件)で、高齢者虐待防止法が施行された06年度から13年連続で増えた。このうち過去にも虐待があった事例が23件、虐待以外も含めて指導などを受けていた事例が約3割(199件)あったそうである。

 これが新聞に載っていた「介護と私たち2025年への課題」というシリーズの一つで『介護職の虐待「密室化」に懸念』と大書された特集記事である。

 これだけ見ると、いかにも介護職の労働者が密室で老人を虐待してるのはけしからんと、非難の目が向けられているように見られるが、介護労働の実態を見れば、介護労働の充実、改善なくしては、いくら夜間の「抜き打ち調査」などをしても、介護の現場をより苦しいものにするだけで、「実効性のある本気の対策」を立て、問題の解決には繋がらないであろう。

 新聞の記事を読むと、虐待の例として、一つは入居者13人がズボンの紐でお腹を縛られる虐待、もう一つは入居者7人が防水シートを体に巻き付けられる虐待を受けていたというものである。いずれも、オムツはずしを防ぐためや、オムツをいじって手が汚れるのを防ぐために行われたようである。

 朝日新聞の最近の歌壇の欄に「田植えする農夫のように腰伸ばし次のオムツ替えに行く夜勤」という介護職の人の歌があったが、介護施設での一番手のかかる労働はオムツ替えなどの老人の排泄の介助、処理に関するものであろう。

 赤ん坊のオムツ処理と違い、相手は大人で、身体も大きいし、重いので、体力が要るし、汚れた体に接し、汚物を処理しなければならない不潔な仕事である上、感染の危険や、身体的にいろいろな問題を抱えた老人なので、危険を避けるように、注意を払いながら仕事をしなければならないという、言うならば、典型的なキツイ、キタナイ、キケンの揃った3K仕事とも言える。

 その上、人間相手の仕事なので、対人関係にも気を使わなければならない。人には様々な個性や行動パターンがあり、中には認知症などで、自分で自分をコントロール出来ない人もいる。しかも、排泄の処理は生理的なものなので、放置しておくわけには行かず、それに合わせて、気も使いながら、不潔で、体力を要する仕事をしなければならないのである。

 この仕事を処理するのに、介護施設では夜間は通常9人の老人に対して一人の介護者が15時間の勤務で面倒を見なければならないことになっているのである。一人では、ある人の介護中に、トイレなど急を要する別の人の介護が重なった時、時間をかけた対応は無理になる。無理の積み重ねは精神的余裕をなくし、対応が適切さを欠くことにも繋がりかねない。それが続くと虐待にまで至ることにもなりうる。

 こうした実態にも関わらず、介護労働に対する世間の評価は低く、この重労働を伴う3kの介護労働の給与水準が、平均的な一般労働者より少ない水準に留められているのである。常に人員不足にあえいでいるのも当然である。

 最近はこういった悪条件を改めて、少しでも魅力ある職場にしようとして、労働条件を改善し、清潔で広い介護施設にしたり、衛生管理や危険措置を徹底し、働き方改革によってきつさを軽減したりする努力もなされているが、絶対的な人員不足のために、実態はなかなか改善されていない。こうした労働環境の基本的な改善なしには、いわゆる「虐待問題」は解決しないであろう。

 上にあげた虐待例は、二つともオムツ交換をスムースにするために行われたものである。ともにオムツ交換がいかに介護労働者の負担になっているかがわかる。誰しも介護の対象者が少人数であれば一対一の対応で、このようなことは起こり難いであろう。どちらも人手不足の中で、なんとかオムツ交換をスムースに処理するための窮余の一策なのである。

 この国では、 過去には、相対的に人員不足であった精神病院における身体の拘束は公然と広く行われてきたし、老人病院などでも、患者が夜間に勝手の起き出して転倒して骨折するのを防ぐために、ベッドに縛りつけるようなことが普通に行われて来たのである。

 いずれも人手のない所で、多くの勝手に動き回る多人数を、安全に管理するために考えられた方法である。昔病院でも結核療養所などでは、一つの病棟で、百人を超えるような大勢の患者を2−3人だけの少数の看護師で看護していたことがあった。なかなか皆の細かい動きにまでは手が回らないので、一定の規則を作って、それに従って杓子定規式に処理しないとうまく運営できない有様であった。

 いかなる仕事も労力の乏しい所に大きな仕事の負荷がかると、それを如何に処理するか無駄をなくし、仕事の効率を良くして、処理しようというのが当然の成り行きである。ただ介護の場合は対象が物でなく、問題を抱えた老人であることに根本的な相違がある。いかなる条件のもとでも、虐待や人権侵害が許されないのは当然である。

 個々の入所者に対して人間と人間の関係で接するのが看護であり、介護である。それが可能であるためには、如何に物質的な合理化が出来たとしても、人間関係の合理化はどこまでも出来るものではない。AIが発展し、テレワークなどが発展しても、看護や介護の領域でのリアルな人間関係はいつまでも不可欠であろう。

 そういうことを考えれば、介護労働の位置付けをもっと盛り上げ、人間の生存だけでなく、尊厳に取っても不可欠な労働として評価し、それに対応した手厚い労働力と、それに対する報酬を上げること以外に「実効性のある本気の対策」はないのではなかろうか。