歳並みに動き方を変えよう

 8月初めに階段を踏み外して側壁で頭を打ち、救急車で運ばれるという事故にあい、幸い後遺症もなく回復したが、これを機会に少し動き方に注意をしなければと反省している。

 これまでとかく、満90歳になっても元気だということを自慢したいような気持ちで、少しばかり自惚れていたようだった。女房と一緒に歩いても、一人で先に歩くし、歳も考えずに道行く若い人に負けないように競うように歩いたり、女性なら追い抜いたりして、仕事で一緒になる女性からは、いつも歩くのが速すぎると苦情を言われたりしていた。

 また、階段の上り下りは青年の頃に、海軍の兵学校で階段の昇降は走るものという習慣を覚え、気持ちが良いので、戦後も若い頃からずっとそれを続けてきた歴史があり、歳をとって目も悪くなっているのに、そうした方が気持ちが良いのでついそのまま続けてきた節がある。

 そのため、階段の最後の一段を踏み外して転んだり、途中で滑って手すりを持っていたので、横の壁に頭をぶつけたこともあったが、その直後は気を付けたものの、長年の習慣はなかなか消えてしまうことはなかった。

 歳をとると、流石に上りの階段を一段飛ばしで駆け上がることは少なくなったが、降りる方は、手すりは昔から必ず持つようにしているが、ゆっくり降りるより、楽に走って降りるぐらいの感じで降りる方が気持ちが良いので、ついいつまでもその癖が抜けない。

 要するにせっかちなのである。電車から降りる時も、電車がホームに止まる前にはドアの所へ行き、真っ先に降りて、一番に階段を駆け下りるのが習い性となっているかのようである。

 そんな習慣が、老化による体力の低下、ゆとりの減少、老眼や視力の低下と重なって事故を起こりやすくしていることがわかっているのに、無視して続けられていたわけである。時に道を歩いている時に、躓いてこけることが起こるようになって、ステッキを持つようになっても、習慣は中々治らない。今度はステッキで調子をとって、余計に早く歩いて、ステッキが道端の穴にはまって、勢い余って転倒するようなこともあった。

 今回の階段での事故は幸い大事に至らなくてよかったが、階段から落ちて死んだ人も知っている。性格までは治らないだろうが、せめて大きな事故などにだけは繋がらないように、ここらで歳並みに動き方を変える決心をした。

 何よりも歳並みにゆっくり体を動かすことである。意識してゆっくり歩いたり、行動することが中心である。電車から降りる時にも、電車が完全に止まるまでとは言わないものの、電車がホームに入るぐらいまでは席を立たず、ドアが開くや否や真っ先に降りるようなことを止め、ゆっくり降りる。降りたら、人の後ろについてゆっくりホームを歩く。階段は手すりを持って、一段一段確かめながらゆっくり降りる。平地を歩く時も、ゆっくり歩く。女房の速さをペースメーカーにして、決して人を追い越そうとしない。出来るだけステッキを持って歩くなどであろうか。

 性格までは変わらないし、長年の習慣を一気に変えることも難しいが、それだけにこのような文を書いておくことが、少しは行動のブレーキになればと思い記しておく次第である。