昨年の10月半ばから脊椎管狭窄症に罹り、少し歩くと右足が痛くなって立ち止まらなければならず、少し休めばまた歩ける、いわゆる間歇的跛行になり、日常生活にも不自由するようになった。
この歳で下肢の神経が圧迫されて痛むとなると、坐骨神経痛ではないとすれば、症状からいって脊椎管狭窄症らしい。ひょっとすれば、前立腺癌の骨転移でも出てきたのかも知れない。一応は調べてもらっておいた方が良いだろうと、近くの医師に紹介状を書いてもらい、ステッキをついて、途中で休み休み病院に行き、MRIなども撮ってもらい調べてもらった。幸い、がんの転移の兆候はなく、脊椎周辺の変化は大したことなく、90歳過ぎていてこれぐらいなら様子を見ればはということで帰ってきた。
しかし症状は悪くなるばかり。初めはそれでも百米か二百米ぐらいは歩けたが、とうとうそれすら出来なくなり、一番具合の悪い時は、約束があったので出かけようとしたが、門を出て歩き出してすぐに足が痛くなって、電信柱毎ぐらいで立ち止まらなければならくなり、とうとう途中で引き返さざるを得ない羽目になってしまった。仕方がないので、約束も断らなければならなくなってしまった。まるで犬が電信柱毎にpissして行くようだなと自嘲せざるを得なかった。
それでも、家の中で動く分にはさして困ることもなかったので、日常生活は何とか続けられたが、買い物にも行けない。以前から続けていた朝のラジオ体操の時も右脚を伸展したりするのが痛くて出来なくなるし、夜寝る時も、従来右側臥位で寝るのが癖だったが、それも痛くて出来ず、背臥位でも足を伸ばせず、そうっと左側臥位でなければ寝れなくなった。
仕方がないので、もう一度病院へ行って神経性疼痛の薬ぐらい貰ってきておいた方が良いのではと思い、病院に再診の予約をしようと思って電話をしたが、何度かけても混み合っていてか、繋がらない。仕方がないからまた明日にでもしようと思って延び延びになっていた。
ところがそのうちに急にコロナ(Covid19)が流行りだした。こうなると病院の外来などは一番感染を受けやすい場所である。薬がないとどうにもならないわけではないので、このまま様子を見た方が賢明だなと考えて病院へ行くのを諦めた。
あとは出来るだけ脊椎管狭窄症に良さそうなことを考えて、自分で色々試しながら様子を見ていくより仕方がない。朝の体操は痛くてもそのまま続け、理学療法士などの勧める体操などで良さそうなものを取り入れて、自分なりに試してみたりしながら、休み休みでも歩くことは出来るだけ続けるように努めた。
初めはステッキだけで歩いていたが、ある時、女房がショッピングカートを引っ張っているのと一緒に歩いた時、空いた手でそれを持ち、両手で杖をついた方が楽なことに気付き、以来昔買ったノルディックのダブルスティックスを取り出して、使うようにした。それで少しは歩く距離が伸びたようであった。
更には脊椎管狭窄症の人でも自転車ならどこまでも行けることを知っていたので、年寄りが乳母車のようなのを押して歩いている姿を思い出し、パソコンで老人用の歩行補助器のようなものを探し、歩行補助器とシルバーカーの違いなどを調べ、近くのフランスベッドの店で実物を見、シルバーカーを買い求めて、それを利用することにした。
これが良かった。自転車と同じなのであろう。少し前屈で車を押して歩く格好になるせいか、シルバーカーを押すと何処までも行けるではないか。ダブルスティックスで歩いた時に痛くなって休んだ所も、スタコラ通り過ぎてどんどん歩けるではないか。それに気を良くして、以来もっぱら、このシルバーカーを押して出来るだけ遠くまで出歩くようにした。
幸いコロナの流行のおかげで、色々な会合は全てなくなり、劇場も一般商店も休みとなり特別措置法などまで出て、三密を避けて、ステイホームということになったので、医師会などの仕事もなくなり、他にすることも減り、時間は十分出来た。そこで毎日もっぱら家から近い猪名川の堤防や、河川敷の公園を中心に歩き回ることにした。
そうこうしているうちに、いつしか6月となったが、そのままシルバーカーを押して歩き続けている内に、いつからか、長道を歩いても、何だか足の痛みが起こらなくなり、途中で休憩を入れなくても長道を平気で歩けるようになり、朝の体操の時も右足に負荷がかかっても痛みを感じなくなり、夜もいつしか背臥位でも右側臥位でも寝れるようになった。
そこで先ずは、毎月決まって行っていた箕面の滝詣でが、2月から途切れてしまっていたので、復活させようと、思い切って行ってみた。往きはシルバー・カーを押して登り、帰りはダブルスティクスで降りてきたが、往復ともに途中で2回休んだだけで、何とか無事に行って来れた。
それに気を良くして、今度はシルバーカーを家に置いたまま、ダブルスティックスだけで河原のいつものコースを行き、それにも成功したので、次には、初めて、ステッキ1本だけで、近くを3000歩ぐらい、試しに歩いて来た。家に帰り着くぐらいの所で少し右足が痛くなったが、これなら上出来である。
そこで先日はとうとう、以前に戻って、ステッキだけで、池田の駅前のマンションに寄ってから、池田城まで行ってきた。途中で休みを入れることもなく行けた。帰った頃にはまだ少し右脚に軽い痛みというか違和感を感じることはあったが、これなら昨年の脊椎管狭窄症が起こる以前とたいして変わりないのではなかろうか。
万々歳である。初めからおよそ8ヶ月かかったが、このまま痛みが再発することなく、いつ迄も、ずっと何処までも歩けることを祈るばかりである。