階段はこわい

 今ではどうか知らないが、旧帝国海軍の士官養成学校であった海軍兵学校では、階段は上る時には二段跳び、下りは一段づつだが、走って降りるように訓練された。ちょろちょろ降りているのを上級生に見つかると、「俺の声の聞こえたものは総員やり直せ!」と号令がかかったりしたものであった。軍艦の階段は何処も急で狭く、しかもいつも揺れるので、危険な場所でもあり、乗員の移動の一番のネックだったので、出来るだけ移動が迅速にスムースに行われるための工夫であった。

 私が兵学校生徒だったのは、敗戰までの4ヶ月間だけであったが、せっかちな性分に合っていたためか、この時に叩き込まれた方式の階段の昇降は戦後もずっと続いた。若い間は、大学や病院の階段でも、あるいは駅の階段などでも、特に急がなくても良いような時でも、走って上り下りする方が気持ちが良いので、ずっと止められなかった。

 駅で電車から降りる時なども、電車のドアが開く否や、真っ先に降りて、階段を駆け下り、改札口を一番に通り抜けないと気が済まないような気分が続いていた。

 ところが、年をとると階段は危険である。年寄りの階段からの転落事故はよくあるようである。ずいぶん昔のことになるが、先代の大阪駅と阪急を結ぶ陸橋の階段を、酔って転げ落ちて死んだ人がいた。自宅の階段で転げ落ちて、大怪我をした知人もいた。年をとって足腰が衰えると階段は要注意である。

 それに、いくら足腰は丈夫でも、視力の問題も加わって来る。私のように若い時に視力表で2.0まで見えた遠視気味の者は、早く初老性の近視になるし、老眼も人並み進むことになる。それに合わせて、眼鏡を作ることになるが、バリラックスなどと言われる、上の部分は近視用で、下の一部分だけが老眼用になったメガネを作ることになる。これなら遠近両用で普通に景色もよく見えるし、本を読む時にも、老眼鏡に変えなくても良いので便利なのである。

 しかし、視力が落ちると、薄暗い所では余計に見辛くなる上、階段を降りる時には斜め前下方を見ることになるが、そうすると、階段の下方の段を老眼用に部分で見ることになるので、ピントが合わなくなることになる。そうなると階段を降りる時に、途中までは同じリズムで行けるから問題ないが、最後の一段が見え難いので、それを踏み外したり、もう一段あるような気がしてたたらを踏むことになったりして、転倒することになり易いのである。

 忘れもしない、イスタンブールの有名なガラタ塔に上がって、降りる時に、最後の一段を踏み誤って転倒し、係りの人がびっくりして飛んで来て、椅子に座らせてくれたことがあった。もう一回は、池田の駅の建物から外へ出る階段でのことである。いつものように階段を駆け下りたのは良いが、この時も最後の一段を踏み外して、勢い余って前のめりに転倒、そのはずみに右手の薬指で地面に着地したらしく、それから半年ばかり右の薬指が動かなかったこともあった。

 そんなこともあって、歳をとってからは、階段を降りる時には、なるべく端の方を通って、手すりをいつでも捕まえられるような感じで降りることにした。それでも走って降りるような癖はなかなか治らず、いつだったかは、階段の中央にある手すりを頼りに、走って降りようとして足を踏み外し、てすりの上に馬乗りになるような格好で倒れかかったことがあったし、地下鉄の本町駅の階段では、雨で濡れてスリッパリーになっていた時に滑って、手すりに縋り付いたので体が回転して、反対側の頬を強く壁で打ったこともあった。

 そんな経験から歳をとってからは階段を降りる時には、必ず手すりを持って降りるようにした。それでも若い時からの癖はなかなか治らないもので、酒に酔っていたりすると、調子に乗って、知らず知らずに、走って降りることになるのであろうか。とうとうある時、池田の駅で、酔って階段を降りた時に、恐らく途中で踏み外したのであろうか、手すりを持って転落は免れたが、側壁で頭を打って出血し、救急車で運ばれる事故を起こしてしまった。

 もうこうなると慎重にならざるを得ない。幸か不幸か、その1〜2年後に、脊椎管狭窄症にかかり、それは良くなったものの、歩くスピードが顕著の落ち、長道が歩けなくなり、杖歩行になってしまい、もう階段を走って降りるようなことは、望んでも出来なくなったしまった。

 今では階段は必ず手すりを持ってしか降りられず、一段一段確かめるようにしてでないと、降りれなくなったしまった。手すりのない階段は出来るだけ避け、避けられない時は、一段一段数を数えながら降りるようにしている。コロナが流行りだしてからは、夏でも薄い手袋をして手すりを持って降りている。こうしていると、駅の階段でも、掃除の行き届いている所と、白い手袋が瞬く間に黒く汚れてしまう階段のあるのがよくわかる。

 今では、勢いよく階段を駆け上がったり、駆け下りたりする若者を見ると、羨ましい気がするが、それと同時に、「せいぜい今を満喫し給え、歳をとるとそうはいかなくなるのだぞ」と声をかけたくなる気がするのである。