おーい待ってくれ!

 若い時からせっかちな私は、歩くのが速く、いつでも少し前屈みになって、急いで歩いている様だと言われてきた。道を歩く時でも、他人を追い抜くことはあっても、追い抜かれることはまずなかった。

 女房と一緒に歩く時も、どうしても私が先に行くことになり、女房が後を追いかける格好になり、「よそのカップルは皆並んで歩いているのに、うちはいつもあなたが先に行ってしまう」と文句を言われがちであった。

 電車から降りる時も私が真っ先に降りるので、ホームの人混みの中で私についていくのが大変だという。二人とも背が低いので先を行く私がいつも手を挙げて合図を送っていたのだが、梅田のような人の多いところではついわからなくなって迷子になってしまったようなこともあった。

 もう20年以上も前から、一月に一回は夫婦で箕面の滝まで行くことにしてきたが、その時も私が先行し、女房が自分のペースで後から来る様にして、所々で、私が待って一緒になり、また、私が先に行くという方式になっていた。

 健脚で急な坂道でも足が速買った私は、前方を行く女性などかなり距離があっても、追い抜いてやろうと思えば、さして努力しなくても、少しづつ距離を縮めておいて、三ヶ所ある急坂のいづれかの所で追い抜くことが多かったのであった。

 阪急電車の朝6時、石橋発の一番電車に乗って箕面まで行き、そこから滝までの往復5.6キロを1時間あまりで歩き、6時半には池田に戻るのがいつもの行程であった。それで家に急いで帰れば、まだテレビのラジオ体操に間に合っていた。

 そんな訳で、歳を取っても歩くことには自信があった。ところがである。昨年の秋に脊柱管狭窄症になってから、今年の夏までは間欠性跛行で、ひどい時には家から駅まででも4〜5回も立ち止まらなければ行き着かなくなってしまったのであった。年齢から考えても、もう遠出は無理だろうと考えざるを得なくなってしまった。

 しかし、歩くのが好きなのに歩けなくなっては困ると思い、シルバーカーなる手押し車を買って、それを押して出来るだけ歩くようにした。脊椎管狭窄症があっても、前屈みになれば結構歩けるものなのである。毎月の箕面行きも、折角これまで続けて来たのだからと、シルバーカーを押して休み休み滝まで行った。坂道を上るのは良いが、手押し車を押して坂を下るのは難しいので、降りる時には女房に車を持って貰い、私はダブル・スティックスを使って降りるようにした。

 こうして車を押しながらも歩いていると、月日はかかったが、今年の夏頃になって足が軽くなった感じがして、幸いなことに、シルバーカーなしでも、また歩けるようになった。ステッキは使っているものの、普通のように歩けることは有難いものである。ただ、歩くスピードが極端に落ち、疲れ易くなって、長道を休まずに歩くことは出来なくなってしまった。

 もう昔のように速足で歩くことは不可能で、低速でゆっくり歩き、時々休憩をとって腰をおろ氏、一休みしてはまた歩くようにしなければならなくなった。それでも兎に角、以前のように、普通に歩けるようになったことは有難いことである。

 ただ、こうなると、女房と一緒に歩く時も、以前とは逆転してしまい、どうしても女房が先を歩き、私が後からついて行く格好になってしまった。スピードも遅くなって、何処ででも群衆を追い抜いて歩いていたのが、今では群衆が次から次へと私を追い抜くようになったしまった。初めは何とか追い抜かれまいと努力もしてみたが、たちまち無理だと思い知らされ、今ではどうぞお先にと思って自分のペースを守るようにしている。

 昔が速かっただけに、歯がゆい思いがする。時々先を歩いて行く女房に心の中で「おーい待ってくれ」と叫びながら追いつこうとするが、どうしても追いつけない。今では、もう歳が行けばこんなものと諦めて、自分のペースを守るようにしている。

 以前には、家に帰り着く時も、私が先について、門の扉の鍵を開けて、女房が辿り着くのを待ったいたのが、今では反対に女房が先に家の門に着いて、鍵を開けて待ってくれるようになってしまっている。何とかして、女房の先回りをして家に辿り着けないものかと思うこともあるが、どうしても足が進まない。急いで追いついても、玄関を上がる時には、ヘトヘトで上がり框に座り込んでしまうことになる。

 94歳にでもなれば仕方のないことか。歩いて外出が出来るだけでも有難いことだと感謝せねばならないのであろう。