藁葺きの家がなくなった

 生前に少し認知症が進みかけていた母はどこかへ旅行して列車の中から外の景色を見た時など、いつものように「この頃は藁屋根が減ったね。どこにも藁屋根が見えないね」と言っていた。それが1980年代であった。事実その頃にはもう全国どこへ行っても藁屋根は希少価値と言われるぐらい少なく、向井潤吉さんの絵が懐かしがられ、年取ったカメラマンが藁屋根のある田舎を訪ねて、藁屋根の農家に柿の木などを入れた写真を撮って昔のノステルジアに耽っていた頃であった。

 それからもうおよそ30年経ってしまった。一世代経過したことになる。最近は藁屋根どころか、瓦屋根の家もほとんど見なくなってしまった。殊に関西では神戸淡路の大震災後、瓦は重いので地震には良くないこともあってか、最近造られる家はほとんどすべてがスレートのような軽い屋根材で覆われ、瓦を使っている家は先ずない。瓦葺はもう古くからの家に残っているだけである。

 この近辺では淡路島が瓦の一番の産地だったそうだが最近はもうさっぱり瓦が売れないそうである。

 中学生の頃、天王寺から大阪まで城東線(現在の環状線)で通学していた時期があったが、その頃は鶴橋や玉造あたりで高架の車窓から東の方を見ると生駒山までの大阪平野が一面瓦屋根で覆われた甍の海のようで、所々に学校の白いコンクリートの建物だけが四角く浮かんでいる感じで、思わず「甍の波と雲の波、重なる波の中空を・・・」という鯉のぼりの歌を思い出したものであった。

 ところが最近は近くを散歩していても、時には車窓から眺めていても今や「近頃は瓦葺の家を見なくなったね。どこにも瓦葺が見えないね」と言わねばならないようになった。一世代経過すれば景色も変わるものである。

 ヨーロッパなど旅行するとどこの国へ行っても石造りでどっしりとした何百年も昔から変わらないような街並みがよく見られるが、住居が「仮の住まい」のことが多いこの国では、建物は次々作っては次々壊す、まるで消費財のようなもので、鉄筋コンクリートのマンションでさえ40〜50年も経てば建て替えとなり、街の景観はどんどん変わっていく。そのためか、昔の建物や暮らしを懐かしむ明治村や大正村ばかりか昭和村さえ出来ているようである。 

 次の一世代先にはどういうことになるのであろうか。その頃にはもうコンクリートのマンションや”新建材”の四角い平屋根の家ばかりになって三角屋根自体が珍しくなっているかも知れない。その時まで生きているわけはないが、時代とともに変化していく景色や建物をずっと続けて眺められればきっと興味深いことだろうと思う。