「親ガチャ」などと言う言葉もある様だが、いつ、どこで生まれて来るかによっても、その人の人生は変わってしまう。たまたま生まれた時代と条件で、個々の人々がどの様に生きられるか、それぞれの社会のありよう、人々の経済的、時間的なゆとりなどによっても、生き方の可能性が変わってくる。
我々昭和の初めに生まれた世代は、時代の大きな変化の波に乗せられて、戦争があったり、戦後の困窮、軍国主義から民主主義への急変があったりして、散々振り回された挙句に、多くは高度成長期のこの国の産業戦士として生涯を捧げた人が多い。
その後は、社会の停滞期が続き、経済の形態の変化もあるが、そのおかげもあってか、次第に人々の自由が育まれ、それぞれが個性を伸ばし、多様性、独立性が尊重される時代ともなって来て、そこに活路を見出す人も多くなり、社会の基盤も徐々に変化しつつある。
大企業中心の社会から外れ、自分なりに生きようとする願望が強くなってきていることも確かであろう。勿論、今でも大会社に就職して出世するという社会の本筋を行こうとする人も多いが、積極的、消極的、色々違いはあっても、許される範囲で、自分なりに一人で生きていこうという傾向が強くなって来たことも確かであろう。
私の近くの親戚関係だけを見ても、我々の次の世代、その次の世代を見ると、外国に住み着いてしまっている者、音楽活動で生活を立てたり、趣味のダンスや歌を楽しんでいる者、ダイビングに魅せられて孤島に移住してしまってた者など、いつの間にか多彩になってしまっている。平和が続いたおかげであろう。
世の中は確実に動いている。「我々の世代では考えることも出来なかった良い時代になったものだなあ」と感嘆せざるを得ない。世界的には今や大きな矛盾を孕み、社会的にも色々と解決しなければならい難問が控えているこの頃であるが、折角、芽生えてきたこういう傾向を、何とか今後も成長させ続けていきたいものだと思って止まない。