老人の街・老人の国

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 最近はどこへ行っても老人ばかりが目に着く。家の近くの通りを歩いても、杖をついている人の後を行くのはショッピングカートを押したおばあさん、その後からはおばあさんがおじいさん手をの引いてゆっくり歩いて行く。更にその後からは、また杖をついた老人がヨタヨタ歩いて行くといった風景が、誇張ではなく、本当に日常的に普通に見られる景色になっている。

 しかし、弱った老人ばかりではない。60代、70代ぐらいの老人で時間を持て余しているような元気な老人も多い。近くの駅の改札口辺りには、いつ見ても、そうした老人たちが集まって何処へ行くのか、仲間の揃うのを待っている。

 そうかと思えば、孤独を好むのか、一人であちこち好きなところを飄々と歩き回っている、元気そうなリュックサック姿の老人もいる。改札口前にあるベンチは、いつもそういった種々な老人で満杯である。どこを散歩しても、出会うのは老人ばかりといった感じである。

 戦後生まれの団塊の世代がどんどん老人の仲間入りをしてきているので、この傾向は最近年々強くなってきている気がする。特にこちらが九十歳を超えて家にいることが多くなり、朝夕のラッシュに外へ行くことが少なくなったせいで、余計にそう感じるのであろうか。

 それはともかく、少子高齢化で、社会の老人の割合の増加は恐ろしいばかりで、上の図でもわかるように、2050年、30年先には六十五歳以上の一人に対して、二十歳から六十四歳までの人口が1.2倍と、殆どかわりがない位になり、世間の半分が高齢者という時代になる。

 もうこうなると、老人の面倒を見きれなくなるばかりか、体力の要るような仕事をする人がいなくなってしまい、そのままでは社会が回らなくなってしまうのではなかろうか。戦後75年のことを思えば、30年といえば、すぐ先の未来のことである。老人介護のことだけでなく、この国の将来のあり方をそろそろ真剣に考え、対策を講じるべきであろう。

 ITの発展が大きな助けになるであろうが、ITを動かす人も必要だし、例えば医療や介護などのように、ITだけではなく、人力に頼らなければならないことも多く残る。それらに対しては、外国から若い人に来て貰って助けてもらうよりないであろう。それも中国や韓国の少子高齢化と競合するので、余程良い条件をつけなければ、やがては成功しなくなるであろう。ましてや戦争など、老人ばかりでは出來るわけがない。外人部隊にでも頼まねばどうにもならないであろう。

 そういった近未来のことを考えれば、ここらで思い切って政策を変え、、平和主義に徹して外交に力を入れ、どこの国とも平和で友好的な関係を結ばなければならないであろう。外国人が働きやすく住みよい国にもしなければならないであろう。

 そのためにはアメリカの属国であるのをやめ、自主独立した国となって、自主的に政策を決め、どこの国とも積極的に平和的な関係を築いていかなければ、生きていけなくなるのではなかろうか。私はもう30年も先まで生きていることはないが、この国の次に世代や、その次の世代が、幸福に生きていけるようにするためには、真剣に考えるべきことではなかろうか。