国旗損壊罪

 1945年の敗戦までは、日の丸が国旗であり、何かにつけて日の丸が用いられた。国を代表する旗であったから。祭日や祝日には、官公庁や学校などはいつも国旗掲揚として、日の丸を掲げたし、普通の民家もこの国旗を玄関に掲げることになっており、国旗を出していない家は非国民として暗黙に非難されたものであった。

 出征兵士は日の丸で送り出されたし、日の丸に寄せ書きをして武運長久などと書いて渡したものであった。雲一つない青空の下に翩翻と飜る日の丸は帝国日本の象徴であった。そのもとで忠君愛国が説かれ、天皇陛下のためには、鴻毛の如き命を投げ出して、死ぬのが誉とされたのであった。

 しかし、戦争に敗れ、天皇制が崩壊し、アメリカ軍占領下では日の丸掲揚も許されなかった。生まれた時から天皇制日本に純粋培養され、帝国海軍に加わり、天皇のために死のうと覚悟した私は、敗戦により全てを失い、奈落の底で虚無主義に陥った。天皇も国旗も国歌もなくなった。

 戦後何年も経って、ようやく虚無から立ち直り出した私には、嫌な思い出から逃れるためにも、天皇も国家も国旗も捨てるべき物であった。日の丸、君が代は見るに耐えず、国歌は聞く耳持たぬ物であった。しかしそれを懐かしみ、引っ張り出して来て、再び国家や国旗にする者たちもおり、紆余曲折を経て、いつしか法的にまで国旗、国歌と決められてしまった。

 国民の総意が決めたものならそれで良い。ただし、私には受け容れるれるスペースは戻ってこない。朝早くテレビの始まりに流れる日の丸には目を背けるし、大相撲の優勝式の君が代は歌われている間、聴かないようにテレビのスイッチを切っている。

 そんな時に国旗損壊罪を制定しようとする政府である。外国の国旗に敬意を払い、尊重して使うのは当然だが、日本の国旗の扱いを損壊罪で取り締まろうと言うのはどうだろう。

 最近日の丸の上にばつ印をつけた高校生のことが問題になったが、出征兵士の寄せ書きで日の丸を汚すのは良いのだろうか。国に腹を立てて日の丸に何か書き込んだり、汚したりするのはどうなのか。また、自家製の日の丸に手を加えたり、細工をしたりするのはどうなんだろう。個人的な表現の自由はどうなるのか。

 為政者に都合の良い加工などは良く、為政者に不都合な変化は許さないことにもなりかねない。国民の感情まで国の法律で抑えるべきではないだろう。私のように過去の悪夢からの日の丸の避諱は死ななければ治らない。色々疑問が湧く。表現の自由が絡み、一方的に損壊罪を決めるには問題が多すぎる。法で決める問題ではなく、皆が愛するように育てる問題なのではなかろうか。