卒寿になって、もういつまでも生きられるわけではないので、死後のことも考えて多少なりとも「終活」もしておかねばと思い、ボツボツ身の回りの不用品や、いつの間にか溜まった古いものを整理するようにしている。
この歳になると、整理しだすと昔の思い出のものや、思いもかけないもの、すっかり記憶から抜け落ちてしまったものなどが次々と際限もなく出てくるので、どう仕分けして整理したら良いのか頭を悩ませることになる。衣服の類や日用品、本や書類、贈答品、趣味的なものは名残惜しいものがあってもまだ選別しやすいが、一番困るのは父の時代から残っているものや、死んだ弟の遺品の類、それに長い間に溜まってきた自分や女房のの絵や写真の作品、それに絡む品々などである。多くは自分にとっては価値があっても、他人にとっては殆ど無意味なものである。
昔なら子供に引き継いで貰って処分も先送りすれば済んだかも知れないが、現在のような少子高齢化の時代で、人々の移動の多い時代にはそういうわけにもいかない。世間一般で、他の人はどのようにしてられるのであろうか。墓は永代供養で寺に任せればまあ良いとしても、個人的な思い出の品のような物は捨てがたいが、伝えることも困難な時代になっているのではなかろうか。
かって友人から本人を中心にして大勢の子や孫に囲まれた写真を見せられたことがあったが、もはやそんな写真を撮れる老人は稀な存在になってしまった。少子高齢化の時代には、子供のいない孤独な老人も増え、最近の新聞によると、身寄りのない老人の死後に残されたお金が合計すると何十億にもなるとか出ていた。先代のものを受け継いでいくどころではない人が多いのではなかろうか。
私達の世代ぐらいまでは世代を超えても同じ場所に居を構え、生活を共にしている家族が多かったが、今では生活も流動的で一生の間に住居を変えたことのない人の方が少ない。昔は人口も増えるばかりで、兄弟も五人、六人といるのが当たり前。戦前の産めよ増やせよの時代には十四人も子供のいる家が表彰されたこともあった。それが今ではどうだろう。核家族さえ減少し、男女ともに独身者が増え、結婚も遅い。子供のない家も多く、いても一人だけとかいうのが普通になった。
私の兄弟は五人いたが、次の世代は三人に二人づつの子がいるだけなので、皆合わせても六人しかいない。さらに孫の世代になるともう我が家の三人だけになってしまう。それも、三人ともにアメリカ人なので、日本にいるのは女房と私だけということになる。二人の娘が共にアメリカ人と結婚してアメリカに永住してしまっているからである。
女房と私が死んだら日本には誰もいなくなり、やがてはこの国には何の痕跡も残さないことのなるであろう。私は人生は過程であり全ては消えゆくものと達観しているが、我が家の歴史がすっかり消滅してしまうのもちょっぴり寂しい気もする。
私が整理しているものでも、娘のものや孫の子供時代の時代のものなどは残してやろうと思うが、自分の親の代からのものや、大部分を占める自分や女房のガラクタやその他の記念になるようなものは出来るだけ処分しておかないと、アメリカまで持っていく値打ちはないし、娘たちが処分に困るであろう。
我が家だけのことではない。周りを見渡しても、昔と違って、どこを見ても本当に少子高齢化の時代である。あちらにもこちらにも結婚しないでもはや初老と言える歳になってしまった独身の息子や娘がいるし、子供のいない夫婦も多い。あちらでもこちらでも家族ごと消えていってしまうようである。
遠い将来のことはわからないが、もう何年かすると、この国では少子化どころか、家族ごとすっかり消滅してしまう家が多くなってしまうのではなかろうか。その頃にはこの国の景色はどんな風になるのであろうか。私のいない世界であるが、気になるところである。来世紀ぐらいにでもなれば、この国は人口減少で、田舎は消滅してしまい、離ればなれの都会にしか人は住まず、住んでいる人も現在の日本人とは血縁的に関係のない新たな移住者が多数を占めていることになっているのかも知れない。