九十七歳の誕生日なので、何か書いておかねばと思って、九十七年を振り返ったBlogを書いて朝早く投稿し、早速、これで一応勤めを果たしたと思っていたが、それからが、誕生日が始まったようなものであった。先ずは朝から娘がやって来て、プレゼントをくれた。
アメリカに40年近くも住んでいたので、アメリカ流である。夏向きの紫外線カットでこれを着た方が外ではかえって気持ちが良いとか言った、ジャンパーまがいのものや、UVカットだとか言ったシャツやパンツ、それに先日女房が話していたので、パジャマにも使える上下の下着。その上、最近はこんなのが流行っていると言って、肩からかける小物入れなどまで、盛り沢山のプレゼントであった。早速、着替えて若作りしてミラーの前に立ってみた。
そうこうするうちに、娘が孫たちに電話すると言う。今は何処にいても、スマホで皆が対面で話せるから、便利になったものである。それも、下の男の子はワシントンDCでワシントンポストの記者をしているが、幸い今日は休みみたい。上の女性二人は連れだって現在フランスに行っている。てっきりパリかと思っていたら、先日はマルセーユ、今日はニースにいると言う。地球をめぐって、日本とアメリカ、ヨロッパと遠く離れながら、皆で一緒にパソコンの画面で話が出来るのは本当に有り難い。孫は英語の他、日本語もフランス語も話すみたいである。
話が終わると、やがて今度は、花束が届けられるからとの電話が鳴る。昔のクラスメートの娘さんで、両親が亡くなった後も、ずっと付き合いのある娘さんからの誕生日祝いである。大きな包みの向日葵の花束が届く。早速、貰った向日葵と一緒の写真を撮って礼状につけようとしたのだが、手違いで、出てきた写真はどれも動画になってしまった。撮り直そうとしたが、もうバラバラにした後。仕方がないので、バケツにつけたものを取り直して送ることにした。
そんなことでバタバタしているうちに、今度はニューヨークから上の娘夫婦からスマホ電話による誕生日祝い。すでに自宅へ戻った下の娘と、また三地点からの電話で色々と話す。上の娘は来月、日本にまたやって来てるそうで、ついでだから万博へも行く予定だとか。
こんなことをしているうちに、瞬く間にもう昼になってしまった。夕方には、プレゼントに貰った料理のカタログは間に合わないが、家でご馳走ということになっている。
(夕刻、近くの精肉店で娘が買って来たステーキの肉が特別美味しかった。こうして、周りの人たちの配慮で、
九十七歳の老人も、幸せな誕生日を送ることが出来たことを感謝して床に着いたのであった。)