「国旗損壊罪」

 自民党議員連盟「保守団結の会」で代表世話人を務める城内実衆院議員や、同会顧問の高市早苗総務相らが「国旗損壊罪」として、「日本国を侮辱する目的で国旗を損壊・除去・汚損した人は、2年以下の懲役か20万円以下の罰金を科す」というものを国会に提出しようと企んでいるとか報道されている。

 なぜ必要なのか? 刑法が92条で「外国国章損壊罪」を定めているのに、日本国旗の損壊罪はない。米国やフランス、ドイツ、イタリア、中国などには自国国旗の損壊罪があり、これは独立国として当然である。ゆえに日本でも国旗損壊罪を作ろうということらしい。

 「まず『外国でもやっているから日本でも』ということらしいが、米国では確かに連邦法や州法で国旗である星条旗の尊重を課し、冒とく行為を禁じる法律があるが、例えば連邦法の『国旗保護法』に対しては、米連邦最高裁が1990年に『表現の自由』を保障した合衆国憲法修正第1条に反するとして違憲判決を出して以降、この法律は事実上無効となっているそうである。

 法律のことは詳しくないのでわからないが、アメリカでは1943年、既にまだ第二次世界大戦中にもかかわらず、公立学校における国旗敬礼行事への出席を、宗教的信念により拒否した生徒に対する処分が争われた事件に対して、連邦最高裁が国旗への敬礼を強制する州の行為を憲法違反とした「バーネット判決」があったことが本にも書かれている。( 蜷川恒正著「憲法的思惟 アメリ憲法における自然と知識 岩浪書店)

「国旗は尊重すべきだとしても、時の権力を批判する人たちが自国国旗を焼くといった行為は、権力に対する抵抗や反対の意思を象徴する行為であり、これは表現の自由として認めなければならない」という考えで、大勢に従わない人々の自由をも保障するものである。

国旗損壊罪」については、 自民党内にも反対の意見もあるようなので、どうなるかまだわからないが、国旗や国歌は国家を象徴するものであるから、民主義国家であれば、本来、国民の総意によって決めるべきものであり、それが決まれば、尊重すべきであろうが、当然多くの人たちと意見の違う人たちの自由をも保障すべきであり、国旗や国家に対する尊重は人々に強制するものであってはならない。

 ましてや日本の場合、君が代や日の丸を先頭にして周辺諸国に侵略した歴史があり、その否定の上に現在の日本国があるのである。その反省を踏まえて、国旗や国家も考えるべきであろう。当然国旗や国家については国民の中にも大きな考え方の相違があるであろう。

 それにも関わらず、現在の国旗、国家は国会の承認もなしに、政府によって、旧大日本帝国のそれを恣意的に踏襲して決められたものである。その国旗や国歌の尊重を国民に押し付けるのは民主主義政府の取るべき態度ではない。大阪における国歌を歌わなかった教師に対する懲罰などもっての他である。

 私は日の丸を見たり君が代を聞けば、今でも戦争の苦い経験を思い出して、生理的に耳目を背けたくなるのはどうしようもない。多くの日本人が日の丸を日本の国旗として認めるのならば、それはそれで反対はしない。ただし、私の日の丸に象徴される大日本帝国に対する嫌悪の情が消えるわけではない。

 今でも朝早くのテレビが日の丸を出す時には目を背けているし、大相撲の表彰式で君が代が演奏されている時には、テレビを切って終わるのを待っている。君が代の国歌は最早言葉も曲も時代遅れで、悪夢の思い出が蘇るだけである。個人的には、もっと現代的な民主主義国家に相応しい素晴らしい国歌が出来ないものかと思っている。

 こうした過去の歴史のしがらみを今なお背負っている人もいるのだし、国家は多様な国民によって発展するものである。幅広い国民の意思や感情を尊重して、一律に国旗や国歌を強制すべきではなかろう。