老人も戦争知らぬ者ばかり

 私の住んでいる室町という所は、阪急の創始者小林一三が明治の終わりに、日本で初めてサラリーマン向けに分譲した所で、その頃から街の自治会が米屋、薬屋、八百屋、出前屋から、郵便局、警察派出所、公民館から幼稚園まで作っていた纏まった古い町である。

 今では、家も人も殆ど入れ替わってしまっているが、まだその痕跡はあちこちに残っている。そんな関係もあってか、最近は若い人たちが、毎月一回、昔ながらの会館で「おいでやす」と称して、地域住民の自由な集まりをやっている。

 我が家ももはや地域の古手であり、女房が以前に世話役のようなことをやらされていた関係もあり、誘われるままに、近所にどんな人が住んでいるかの参考にもなろうかと思って、何年か前に顔を出してみたことがあった。その後、コロナがあったりして遠のいていたが、「おいでやす」はずっと続いているので今回久しぶりで覗いてみた。

 昔は近くなので簡単に行った記憶があるが、今回はやはりトライウオーカーなる歩行補助器に頼らざるを得なかった。大勢集まる訳ではなく、7−8人の常連のような老人が来ているようであった。お茶とお菓子を頬張りながら、1〜2時間ばかり、お互いによもやま話に花を咲かせたり、トランプのババ抜きをしたりして解散ということになっているようである。

 だが、係の人たちが一所懸命工夫して何とか会を盛り上げようとしていることがよく分かった。最近は隣近所の交流が殆どないので、いざ災害というような時にも、お互いに助け合うようなことがスムースに行われるか疑問に思われ、平素から近隣の人たちが顔見知りになるだけでも良いのではないかと思われる。しかし、どうしても集まるのは暇を持て余してる老人ばかりということになりがちで、今回も例外ではなかった。

 私が最高齢で96歳、次が女房と、同じ90歳の男性ということであった。老人ばかりの集いなので当然戦時中の話などが出て来るのだろうと思っていたが、老人と言っても、もはや戦争を知っている者は私以外誰もいない。戦後の闇市や買い出しの話ぐらいである。思えばもう来年で戦後八十年であるから当然のことであろう。

 明治維新から敗戦までが七十七年であるから、それより長くなってしまったのである。私にとって明治維新はもう歴史上のことでしかなかったことを考えれば、私の運命を左右したあの戦争も、最早遠い昔のこととなってしまったのだなあと思わざるをえなかった。