世代間のギャップ

 北京のオリンピックの開会式を見ていたら、何かの代表で二人に若者が出てきたが、解説者がこの二人とも今世紀になってから生まれた二十歳と二十一歳だとか言っていて、驚かされた。

 成程、二十一世紀になってから生まれた人たちがもう立派な成人になっているのである。二十一世紀の初めといえば、私はもう七十二歳になっていた、孫たちも一番下の子でも二十世紀生まれなのだから、二十一世紀生まれの大人など考えたこともなかった。

 そんな青年にとっては、もう戦争のことなど遠い昔の歴史上のことに過ぎないであろう。もう敗戦から77年も経つ。その頃の私にとっては、明治維新は遠い昔の歴史上の話だったが、明治維新から敗戦までがちょうど同じ77年なのである。

 私にとっては戦争の記憶は今でも昨日のことの如く強烈なものであるが、あの戦争の悲劇も、あの食うや食わずの敗戦後の悲惨な生活も、今を生きる人達にとっては、痛くも痒くもない遠い昔の歴史の話に過ぎないのであろうか。アメリカと戦争をしたことを知らない人もいるそうだし、菅前首相が沖縄で戦争のことを聞かれて「私は戦後の生まれなので戦争のことは知りません」としれっと言ったそうである。もう過去の知りたくない歴史は封印してしまっておきたいとでも思っているのであろうか。政治家としての資質が問われる態度である。

 敗戦の傷跡は今なおお大きく残っており、77年も経つというのに、日本はいまだにアメリカの属国である。日米安保条約によって主権も制限され、住民の大多数の反対を冒してでも、沖縄の基地は作られるし、米軍の飛行機は全国の空を自由に飛ぶ。東京へ来る飛行機は米軍の制空権を避けて歪な航路を取らされている。米軍による事故や犯罪を日本が取り締まることも出来ない。 

 日本へ来る米軍の検疫も出来ないので、岸田首相が目論んでいた水際対策も、米軍の自由な飛来により、感染者たちのクラスターから忽ち日本国中にオミクロン株の爆発的流行となった。水際作戦どころではなかった。しかも日本政府はそれを知りながら、それを阻止することも、抗議することすら出来なかったのである。

 国民の命や健康を守るためには、憲法改正より、日米地位境地をドイツやイタリア並みに対等な条約に改正する方が遥かに重要なはずなのに、政府は一向にそちらの方向には動こうとさえしない。

 我々戦争を経験した者たちにとっては、何とかこの国を完全に独立した国に戻したいと思っているが、戦争を知らない人たちはこの現状をどう思っているのであろうか、長年のアメリカの支配に慣らされて、もはや独立よりも強いアメリカに寄り添って、国民の犠牲や負担を無視してでも、何とか生き延びようと図っているのであろうか。

 そのアメリカにも翳りが見えているのである。アメリカ国内の分裂もそうだし、諸外国への支配も、イラクでも、アフがニスタンでも、シリアでも成功できず、中国の台頭等による世界の支配も、支配関係は時代とともに変わっていっている。

 九十歳を超え、後10年を待たずにこの世から消えていく我々世代が今更何を言っても通用しない。世の大部分をを占めている人々が全てのことを決めていくよりないが、老人の長年持ち続けてきた切なる希望も、ちょっとは考慮の中に取り入れて欲しいものである。