歳をとると人によっても異なるが、一般に転倒しやすくなるものである。
私はこれまで何回転んだことであろうか。もう数えきれない。70代後半頃からであろうか。思わぬ所で転ぶのである。杖をついていても転ぶものである。私はいつもセカセカと早足で上半身が前のめりがちの姿勢で歩いていると人から言われていたが、足より気分が前のめりになって急ぎ足になるものだから、余計に転んだのであろうか。
あちこちで転んでいるが、日本国内に限らず、イスタンブールやロスアンゼルスでも転けたことがある。国内でよく覚えているのは循環器病センターからの帰途、北千里駅で倒れたことがあった。家の近くでも、いくつも転んだ場所を今でも覚えている。
出来るだけ転ばないようにと、比較的早くからステッキを持つようにしたが、ステッキを持っていても、早足で歩く癖は急には治らない。ステッキでリズムをとって急ぎ足で歩いている時、道路の端の窪みにステッキがはまり込んで転倒したこともあった。
流石に80代も後半ともなると、歩くスピードは遅くなったが、バランス感覚が年と共に悪くなるので、ゆっくり歩いていても、つい急に方向を変えた時や、わかりにくい段差をこえるような時などに、体のバランスを失って転ぶようである。
ところが、最近転倒した場所を思い出すと、偶然にも、いずれも美術館へ行った時なのである。
先ずは、昨年9月14日に国立京都近代美術館へ、清水九兵衛六兵衛展を見に行った時のことである。この時のことのついては、このブログの昨年9月18日の欄に書いたが、失神発作を起こしたので、「車椅子での美術観賞」ということになり、立って歩いて見るのと目線が違い、殊にに陶芸作品などでは、丁度作品を真横から見るような感じになり、珍しい感じの鑑賞が出来たことが印象深かった。
次は、今年に5月3日、芦屋の市立美術館へ行った帰りであった。小磯良平や具体派など馴染みの芦屋の作家たちの展覧会があり、懐かしさのあまり見に行った。見終わるまではよかったのだが、帰途、市役所の横で転倒、入れ歯が割れたりし、救急車が来るやらで大変だったが、この時のことについては、やはりこのブログの今年の5月14日に「杖も凶器に」を書いているので参照していただければありがたい。
そして3回目が最近のことである。上の二回の時にはステッキで行ったのだが、その後トライウオーカーなる3輪の歩行補助機を買ったので、今回はそれを用いて行った。今回はモービル作品で有名な新宮晋とポンピドー美術館の設計を手掛けたレイゾン・ピアノの二人展で、場所は中之島美術館であった。
トライウオーカーは軽量で折りたためるので、タクシーでもトランクに入れて貰わなくても、持ったまま座席に乗れるので便利である。美術館についてトライウオーカーを押しながらスロープを上がって美術館の建物の入り口へ行く途中、横のスロープへ行けるのかなとぼんやり横を見、後ろから来る女房を振りかっった時に、トライウオーカーの留め金が緩んでいたのか、三輪車が閉じた格好になり、こちらの不自然な体位と相まってバランスを崩し、突然トライウオかーとともに転倒し、顔面を地面で打って、メガネは割れなかったがメガネの留め金が眉間に食い込み出血した。
思わぬ出来事にしばらく呆然としたが、大した傷でもなく、血もほぼ止まったので、そのまま美術館に入り作品を鑑賞することが出来た。広い展示室の天井や壁に映ったモービル作品の動く影が印象的であった。
トライウオーカーを使うようになって、これで転倒とも縁が切れたと思っていたが、思わぬ伏兵にやられた感じである。トライウオーカーは三輪車で後ろの二輪の間の体が入れられるので三角形に重力が分散され安全快適な歩行補助具であり、使い始めてから今まで一度も事故を起こしたこともなかったが、油断大敵、思わぬ使い方の誤りがあった。
本来三角形で安定しているのだが、三角形を畳めるようになっているのである。後輪二輪の間に体を入れて移動することになるのだが、階段を上がるときや、持って運ぶ時には後輪を折りたためる構造なっている、そのためタクシーの座席にも載せられるし、電車の中や収納時に場所を取らないで便利なのである。
また歩行時には、後輪をすっかり開いて止金をかけて固定してから使うようになっているのだが、歩道の狭い所や、柵があって柵間の幅が狭い所などがあるので、道路や駅をスムースに進む時には二論の幅を自由にかえられる方が便利なので、止金をせずに臨機応変に後輪の幅を自由に変えながら使っていたが、時と共に止金がゆるくなって、自然に幅が変わりやすくなっていることを失念していたために今回の事故が起こったもののようである。
やはり何でも細かい点までインストラクションに従って使用すべきだということを知らされたのであった。お気に入りの優れものの三輪トライウオーカーも、やはり正しい使い方をしなければ思わぬ事故も起こりうることを学ばせて貰った。
それはともかく、もう四度目の事故は御免被りたい。三度の事故がいずれも美術館へ行った時に起こったということは、ゲンを担がない私にも、このために美術科へ行く足が遠のくことは考えられないが、何かの因縁でもあるのかと、つい思いたくなるところである。。