時代はどんどん動いている。人の運命は当然その時代によって振り回されることになる。しかし、ミクロ的に見て同じ年代の人たちでも、たった一年違いで、その運命が変わってしまうこともある。戦争や革命など時代が急変する様な時には、えてして そういうことが起こり易い。
特に若い人たちの場合、社会は年齢によって若者を区別することが多いので、たった一年の違いで、運命がころっと変わってしまうことさえ起こりうる。
徴兵制度のあった戦争時代には、たまたま丁度20歳になったばかりに、軍隊に入れられ戦地に送られて死んでしまった人もいると思えば、たまたま、徴兵検査を受ける前に戦争が終わって、生き延びれた人もいる。
戦後物々交換で母親の着物を持って交換に米を貰いに「買い出し」に行った時、そこのお母さんが嘆いていたが、娘さんが砲兵工廠へ動員されていたところ、敗戦の1日前の工場の空襲で死んでしまったそうであった。もう1日戦争が早く済んでいたらと涙を流していたのが忘れられない。
それ程でなくとも、先般のコロナの流行で学校閉鎖となり、当然の学校教育が受けられなくなった人たちもいる。大学紛争で、一年学生を募集しなかったために、その大学へ入れなかった人もいた。経済の低迷で、大会社の求人が止まり、丁度その年に卒業したばかりに就職できず、ずっと場末の職場で働かなくてはならなくなった人もいる。
いずれも誰が悪いわけではなく、社会の変化が個人を翻弄するのだからどうにも致し方ない。しかし、困るのは、その時の影響がそれから後まで、一生ついて回ることである。社会は、自然さえ、決して万人に平等ではない。
私の場合は原因はすべて戦争である。負ける様な戦争をしてくれなかったら良かったのに、神国だの皇国だのと言って、忠君愛国の教育を受け、素直な子供は「天皇陛下万歳と言って死ぬ覚悟」さえ持たされて、海軍兵学校まで行って敗戦。「耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで」それまでの自分の全てを失ってしまった運命のことは別としよう。
ここで言うのはまともな教育さえ受けられなかったことである。我々1928年生まれは、中学校から高校をとばして大学へ行った様なものである。中学3年生から勤労奉仕と言って教室での勉強をやめ、空襲に備えて貯水槽作りに動員され、4年生(今での高校1年)からは工場動員といって学業はゼロで、朝から夕方まで工場で働かされたのであった。
中学は一年短縮で卒業させられ、その夏に敗戦、混乱の中で学問どころではない日が何年も続いた。形だけは旧制度の高等学校、大学と続いたが、中身はお粗末極まり、何とか形だけ整えていたという時代が続き、日本がやっと復興し出したのは、もう大学を出て何年か経ってからということになる。
言い訳を言うのではないが、成長期の教育の欠落の影響は大きい。後々まで、一生、尾を引くものである。努力と環境でそれを乗り越えられた人もいたであろうが、私にとっては、とうとう死ぬまでこの穴は埋め切れられなかった。高等数学にはとうとうついていけなかったし、今でさえ、基本的な教養のあちこちに欠落を感じざるを得ない。
世の変遷は非情なもので、決して万人に平等ではないが、それだけに人間社会は相互に助け合って、少しでも皆が平等に生きていける様にして行きたいものである。