過疎地の復興は無駄

 今年の初めに能登半島を襲った地震では、地盤の隆起や、高波、それに輪島の火災まで加わって、この地方は広範囲に渡って壊滅的な被害を被ったことは、まだ人々の記憶に新しい。

 承知の如く、地元の住民や、全国から駆けつけたボランティア等の差し当たりの救助活動は進んだが、もともと少子高齢化で過疎化の進む地方で、復興がどう進むのであろうかと初めから気になるところであった。

 基本的に人命救助、災害復興は政府の最も基本的な行政サービスであるが、危惧されてきた通り、政府の対策は遅れがちであった。岸田首相の能登への訪問の足取りも重く、遂には上の記事の如くに、財務省に「過疎地の復興は無駄」とまで言わしめ、復興は遅々として進まなかった。半年経って夏になっても崩壊した街並みはそのまま、金沢などに身寄りをあてに転居した人も帰れず、仮設住宅の建設なども遅れがち、9月になっても復興は一向に進まなかった。

 こういった政府の態度に、私までが腹を立てていた矢先に、天罰の如くやってきたのが9月末の大雨の災害であった。復興がもっと速やかに進んでいたら、被害も少しは軽減されていたであろうに、地震で潰れた街並みが再び大水にやられて、被害を大きくしたことは間違いないであろう。仮設住宅まで床上浸水し、仮設にやっとありついた安堵の地が、再び災害を受けるという悲惨な目に遭った人まで出た。

 これは単なる大雨の被害ではないとも言えるのではなかろうか。時間もたっぷりあったのだから、大雨を予測していなくとも、復興事業さえもっと進んでいたら、大雨の被害ももっと軽くて済んだのではないだろうか。

 二度も立て続きに被害を受けられた方々に心から同情すると共に、過疎地だからからと言う理由で復興事業に手を抜いた政府に心から怒りを感じるものである。