今度の災害で空襲を思い出す

 西日本の今度の災害は地震のようにまったく予想もしていないところに突然起こったものではない。早い段階から気象状況の発表があり、現実に雨が降り始め、いつまでも大雨が続いて、これでは洪水の危険があるから厳重に警戒して下さいという警報も何度も繰り返されていたのである。

 そして、その予想どうり堤防が決壊し、山が崩れて、あちこち広範囲にわたって大災害が起こり、多くに人たちが亡くなり、広範囲の土地で人たちが家を失い、泥水で家に住めなくなるという大惨事になったのである。初めから分かっていながらどうすることも出来ずに、ただあれよあれよと言いながら大惨事になったことは何としても残念でならない。

 ふと、戦争末期の空襲のことを思い出した。あの時もラジオが「潮岬南方何百キロだかにB29の大編隊がこちらに向かっています」という警報があったが、こちらは防空壕に避難するだけで何も出来ない。ただ避難している間に、警戒警報が空襲警報に変わり、予想どうりB29の大編隊が大阪の上空にやってきて、予想通り焼夷弾を落とした。ただ逃げ惑うばかりのうちに辺りはすっかり焼き払われて、大阪中が焼け野原になってしまったのだった。

 天災と人災の違いはあるが、予め分かってっているのに、何も出来ないままに、予想どうりの災害が起こってしまったことはどちらも残念無念の限りである。

 もう少し予め何とか手が打てなかったものだろうか。何十年ぶりかの稀れな出来事で仕方がなかったような意見もあるが、近年の地球の温暖化やその他気象現象の変化、最近の災害状況などを見ていると、従来の方法の延長ではなくて、新たな視点に立った対抗対策が遅れていたのではないかとも思われる。

 治水については昔から色々な手が打たれてきて、自然の猛威とそれに対する人類のたゆまぬ努力との戦いが続いてきたものであり、その効果もかなり発揮出来て来たものである。しかし、近年の気象条件の変化や災害発生状況などから見ると、ここらで新たにもっと強力な災害対策が取られる必要があったのではなかろうか。

 土木工事はこの国の得意とするところである。東日本大震災でやられた福島第一原発津波対策でも、被害を防げた高さの防潮堤が企図されていたのに、災害の可能性の評価と経済的理由で延期されたことが致命的な結果を招いた教訓もある。

 最近の変化した気象条件や山林河川の利用状況の変化や実態など、危険の余地を新たな視点から見直していれば、当座の利益にならなくとも、何十年ぶりかの大雨や地震、台風などにも耐えられる対策を立てることも、或いは出来たのではなかろうか。

 今回の災害後、日本列島はかってない酷暑に襲われ、連日そのための熱中症の死者まで出ている。地球の温暖化のためかどうかは知らないが、自然は明らかに変化している様である。それに対して新たな条件をいつも観察して、新たな視点に立った判断のもとで新たな治水、治山など、自然災害対策を立てて災害を予防する道もあったのではなかろうか。

警報システムのチェックも必要だが、稀有な災害と諦めないで、もっと災害に強い国土造りを再考すべきであろう。河川の本流は国交省の管理で百年に一度の洪水に備えて整備されているが、支流は都道府県の管理で災害に対する備えは目標自体がもっと低いようである。今度の災害を見ると、これも見直した方が良いのかも知れない。

 アメリカに乗せられて高額な武器を買ったり、外国への高額な資金の提供よりも、国土の保全や国民の安全や健康のため、そういった国土の強靭化こそ無駄と思えるぐらいに優先して政府が取り組むべき課題ではなかろうか。もう少し国民の暮らしに目を向け、新たな視点で新たな方策を講じておれば、この様な災害を防いだり軽減化することが出来たのではなかろうか。空襲の惨禍とともに残念でならない。

 少子高齢化や産業の転換なども関係して地方の山は荒れ、人口は減少し、国の地方への関心も薄れ、土地の整備も十分ではなくなっているのではなかろうか。地方の整備の予算も減っているのでは?

 この災害に対する政府の特別援助が20億円とか出ていたが、イージス・アショアは最初800億円と言われていたのが、2基で6,000億円とも報じられている。これだけのお金を使えば、あらかじめもう少し打つ手もあったのではなかろうか。

 要は政治が何を優先しているか。そのしわ寄せがこういうところに現れてきているのではなかろうか。