白寿の祝い

 この3月8日は姉の誕生日だが、今年は白寿の誕生日である。百の字の上の一を取れば白になるので、100歳にひとつ足らない99歳を白寿と言って、昔からお祝いをするのが習慣である。私の属している医師会でも、正月の互例会で例年その表彰式があり、今年も一人、比較的親しかった開業医だった先生が表彰された。

 昔からのしきたりで、今も数え年で行なわれるのが普通なので、表彰された先生も満年齢で言えば98歳なので、まだ一年先のことかと思っていたそうである。そう言えば私も再来年まで生きていたら白寿、身震いする様な感じである。

 姉は大正15年生まれ、私は昭和3年生まれだが、昭和元年は一週間ぐらいしかなかったので、姉とは二つ違いである。姉は4〜5年来、施設に入っているが、思えば、二人とも長く生きてきたものである。

 父が94歳、母が96歳で他界しているので、長寿の遺伝子に恵まれていたのであろう。戦中戦後の貧しく厳しい世の中を乗り越え、特段、健康に留意して暮らしてきたわけでもないが、よくぞここまで生きてきたものかと思わざるを得ない。

 我々の世代はまだ「貧乏の子沢山」という言葉が生きていた時代で、我々兄弟も元々は七人兄弟だが、一番上の二人は共に夭折しているので、実質、姉が一番上で女一人で、あとは殆ど年子で続いた男四人の五人兄弟であった。

 今から思えば多過ぎるぐらいの兄弟であったが、いつしか一人減り二人減って、三人が何とか90歳にたどり着いたが、弟が死に最後に姉と二人だけになってしまった。

 その姉も、このところ施設に入り、一人だけになった息子が始終、面会い行ったりして面倒を見ている。一昨年暮れぐらいから体調が衰え、昨年の誕生日まで持てばと思っていたこともあったが、幸いにもその危機を乗り越え、それから丸一年。昨年も暮れには食欲もなくなり、正月まで持つかなと危ぶまれ、誕生日までは無理ではとも考えられたが、何とか満98歳の誕生日絵を迎えられた。

 施設でも白寿の誕生位祝いをしてくれる様だが、こちらも久しぶりで面会に行って、その後息子と我々でお祝いをしようと思っている。