早朝の散歩 ヒメジオンの当たり年

 

 まだ6月だというのに、天気予報では連日のように30度を超える気温が示されている。それも体温と同じ36度などという異常な高温が、当たり前のように告げられているのが恐ろしい。

 これまでは、朝食など朝の行事を済ませてから散歩していたが、もうこれだけ暑くなると、日中はもう散歩どころではない。特に、私の女房は「日陰の女」とあだ名を付けたぐらい、日照りが嫌いである。そんなことから、最近は毎日の散歩も朝起きて、すぐに出かけるようにしている。

 最近は4時半頃になるともう明るくなって来るので、その頃に出かけることになる。まだ薄暗く、人通りも殆どない。何よりも嬉しいのは、まだ涼しい風が吹いていて気持ちが良い。行き先は、一番よく行くのは、猪名川の堤の遊歩道である。多くは幾つも野球やサッカーのフィールドが整備されている左岸を上下するのだが、時には橋を渡って、川西市側の右岸を行くこともある。

 コロナの流行った頃には、県境を越えての移動は遠慮せよと言われていたこともあったが、私たちは日頃の散歩道なので、右岸の散歩もそのまま続けていた。それでも最近は少しばかり足が遠のいていたので、つい先日は久しぶりに右岸の堤を下ってみた。まだ朝早いので殆ど人にも会わず、適当な堤の階段のあるところで休んで朝飯を食べて、ゆっくり歩いて見物しながら6時頃に帰った。

 この右岸の散歩で驚かされたことは、右岸の河原一面に、ヒメジオンの集落が際限なくと言っても良いぐらい、どこまでも続いて見られたことだった。ヒメジオンの花は一つ一つは可憐な小さい菊のような白い花だが、集まると真っ白な集合体のようで、遠くから眺めると、緑で覆われた河川敷の遠方が所々が真っ白に霞んでいるかのように見える。

 昨年までも恐らくあったのであろうが、それほど目に付かなかったし、よく行く左岸の方にもヒメジオンは勿論あるにはあるが、こんなに大集落が続いているようなことはない。今年はヒメジオンの当たり年なのか、これだけ大発展を遂げたのかは知らないが、川原に沿って白いヒメジオンが何処までも延々と続いているではないか。一つ一つの花は小さく可憐だが、枝分かれした全ての茎の先に一斉に花が咲くし、小さな花でも纏まった集団となると力強い。

 これだけの大集落を目にしていると、思わずかってあちこちの河原を大占拠して社会的にも問題となった秋のセイタカキリンソウ(セイタカアワダチソウ)のことが思い出された。そういえばあれだけ繁殖したキリンソウが、最近は勢いもすっかり無くし、数も少なくなって、問題にもされなくなってしまったが、このヒメジオンはキリンソウとは違って可憐だし、アレルギーなどの話も聞かないので、毎年今年のように河原を埋め尽くしても、誰からも苦情は来ないのではなかろうか。

 ヒメジオンの近くにはアカツメクサが寄り添っている所もあり、一面白の花の中これも可憐な赤い花を咲かせ、紅白の対象を見せてくれている。そしてそれらに付き従うようにシロツメクサ(すなわちクロバー)の畑が周りを固めている所も多い。また、そんな中にポツンポツンと背の高い既に花の終わった赤まんま(犬蓼)が顔を出しているのもアクセントをつけているようである。

 こんな広大な河原の緑の中のヒメジオンの集落を見ていると、今度はついこんなことが頭に浮かんだ。ヒメジオンは大正時代にアメリカから渡来した外来種であるが、それがいつの間にか、すっかり日本の大地に溶け込んで、こんなに広々と広がった大集落を作っているのである。

 ちょうど世界のあちこちから移民がやってきて、初めは殆ど目にもつかなかったのに、長い間にいつしかその土地に根を下ろし、定着し、発展してきたようなものだな思った。こうして人間も世界中に広がって来たのであろうし、これからも世界中の人々が移動し、そこで混ざり合って、定着していくのが普通の時代が来るのだろう。娘たちがアメリカへ移住し、孫達も成長してアメリカに定着してきたこともあるからであろうか。

 河原の散歩を繰り返しているだけでも、その都度、何らかの発見があったり、思わぬ出来事に遭遇したり、そこからまた色々と考えたりして興味は尽きない。名も知れぬ雑草だけでも、四季折々に色々なことを教えてくれるので、やはり散歩は欠かせない。