光陰矢の如し

 今朝新聞を見ていて驚いた。文芸欄に高橋和巳のことが載っていたが、今年が没後45年に当たると書いてある。我々と同じ世代のはずだったのに、一瞬間違いかと思ったが、彼は早く1971年に死んでいるのでもうそんなになるのである。

 ついこの間のことのようの感じるが、大阪万博が開かれ、まだ全共闘が新聞をにぎわいていた頃だった。「邪宗門」とか小説も書いていたが、新聞などでもいろいろな発言をしていた。必ずしも同調は出来なかったが、名前はよく目にして馴染みになっていた。

 そういえば、私がアメリカへ行っていたのももっと前のことで、すでに半世紀も昔のことになってしまった。全共闘の浅間事件も、まだ生きていた父の祝いを箕面の料亭でやった時にテレビで中継していたことで、未だに鮮明に思い出せる。しかし、その料亭も今はなく、跡地に建てられたマンションも何年目だかの補修さえ済ませている。

 また、昨日すでに故人となった友人の奥さんの祝いの会に出席したが、そこで会を取り仕切り挨拶した長男が誰かと思う堂々とした紳士なのに驚かされた。彼が生まれた時に、女の子ばかりで随分経ってからやっと男の子が生まれたと言って親が喜んでいたいたことも昨日のことのように思い出された。奥さんは四十半ばの妊娠だったので苦労したと話されていたが、彼女も今年八十六歳である。

 あれもこれも、全て半世紀近くも遠い過去の思い出でしかないが、目の前に突きつけられるとあまりにも速い年月の経過に驚かされる。年をとるとともに積み重ねられてきた過去も次第に濃縮され要約化され、時間的に収縮していくのであろうか。未来が短くなればなるほど、過去の過ぎ去るのも早く感じることになるのかも知れない。未来がなくなる時にちょうど過去も消え去るようになったいるのであろうか。

 九十にでもなれば、もういつ死んでもおかしくはない。最早、過ぎ去って要約化されてしまった自分の過去は淡々と受け容れて楽しみ、肉体の死とともに近親のかすかな記憶を経て無に帰すことに委ねたい。