歌句の世界も高齢化

 毎日曜日の朝日新聞には歌壇・俳壇のページがあり、いつも楽しみにしている。十数年前から人々に残された戦争の傷跡がいつまで続くのであろうかと気になって、歌壇俳壇でもチェックすることにしためもあって、殆ど欠かさずに読んできた。

 流石に、戦後77年ともなると戦争を体験した人たちも殆ど死に絶えて、直接、戦争経験に基づく歌は減ってきたが、今でも子供の時の体験や、親の世代の戦争についての思い出などはいくつも歌われており、戦争の与えた影響の大きさを感じさせられる。

 それに対して、最近の歌壇・俳壇で顕著になって来たのは日本社会の高齢化である。子どもや若者の歌も載せられているが、歌詠みの多くは、長く続けて来られて高齢になられた方や、高齢になっつて歌を始められたような方たちであろう。それに長らく面倒を見てこられた選者の方も、年毎に高齢化が進んで来ているであろう。

 今朝の歌壇・俳壇を見ていても、改めてその高齢化社会ぶりに気がついて驚かされた。今朝の俳句の方だけに限って見ても、下記のような句が並んでいた。

   老人の力合わせて秋祭り

   高齢の笛や太鼓や村祭り

   亡き夫の釘の高さや柿吊るす

   干し大根もどすが如く湯に浸かる

   一句とて作りかねるや九十二は

   還暦と米寿の親子とろろ擂る

   独りきりの結婚記念日十三夜

 我が家の周りの道で出会う人たちも老人ばかりである。政府は軍備増強だの、敵基地攻撃能力だの、継戦能力保持だなどと勇ましいことばかり言うが、この高齢化社会で戦えるのか?

勇ましいだけでは戦闘はできても戦争は無理では?現実も見て、考えて、ことを進めて欲しいものである。(11月6日)