パリの同時多発テロ事件に憶う

 最近起こったISによるパリの同時多発テロ事件では多くの人々が犠牲になった。

 普通の人々が普通の日常生活の中で突然テロに巻き込まれ命を奪われるという不条理に人々は犠牲者に哀悼の意を捧げるとともに、心からの怒りを禁じえなかったのは当然である。犠牲者の近親者などの悲しみは想像に余りあるところである。

 しかしどうしてこんなことが起こったのかを考えると、どうしてもアメリカを中心とした中近東の支配政策、その結果としての9.11.事件、それに対するアメリカによる不当なアフガニスタンイラクに対する侵略戦争などの歴史を振り返らざるをえない。

 憎しみは憎しみを生み、暴力は暴力で返されることになる。その結果が今回のテロ事件であることは明らかであろう。しかも現代は最早かっての植民地時代や西部劇の時代ではない。アフガニスタンイラクの結果を見てもわかるように力で抑えこんでしまうことは出来ない。このままでは同様な事件は形を変えてまた起こることは必定であろう。

 パリの人々に起こった悲劇はそれより早く殆ど永続的とも言えるぐらいに長期にわたって中東に住む普通の人々に起こってきたことと同じことではないかということに思いを巡らせる必要があるのではないか。欧州に押し寄せて問題となっている難民の問題を見ただけでも中東の人々の過酷な繰り返されてきた悲劇が想像出来るであろう。

 先進国の人々がテロを憎むのと同じように、中近東の人たちも強大な外国の力による一方的なテロ戦争によって、より多くの人たちが殺され、家を焼かれ、難民となって故郷を追われてきたことに強い悲しみと憤りを感じていることは当然であろう。

 さらに今もなおアメリカや西欧諸国によって不当に社会を撹乱させられ、空爆が続行され、ドローンによる個人を狙った攻撃まで続けられているのである。そのための誤爆による犠牲も多いようである。彼らが生きるために報復を考えたとしても当然ではなかろうか。

 いわゆる先進国側が軍事的にも政治的にも中東諸国への干渉を止めることが根本的な解決策である。彼らが手を引いて中東のことは中東の人々で解決してもらうようにすることがやがて事態の収拾させ、テロを根絶させることになるのであろう。