ミャンマーの政変について

 最近のニュースによると、ミャンマーでは、建国以来の長い間の軍事政権の末に、やっとスーチー氏の率いる民主政権が出来て落ち着いているかに見えていたが、最近また軍のクーデターが起こって、軍部が政権を奪い、それに対する国民の大規模なデモが続き、軍がそれを抑えようとして四人かの死者まで出ているようである。

 アメリカはこのクーデターを非難し、軍に対する制裁をも科しているようである。これまで、何処かの国で政変が起こると、アメリカは兎角、世界の指導者とばかりに、自国の利益に合わせ、民主主義が普遍的な真理だとばかりに非難したり、制裁したり、時には軍事的に干渉までしてきた。我が国や西欧諸国がそれに同調するのも一般的な流れであった。

 日本でもそれに流されて、単純に軍がけしからん。民衆の方が正しいと思いがちである。しかし、私は軍政が嫌いなので、同調したいが、詳しい実態がわからないので、静観するよりない。これまでこうした紛争のニュースが、如何にいがめられて報道されて来たかを嫌と言うほど経験して来たからである。

 これまで色々な地方で色々な紛争が起こり、その度にアメリカは国連による制裁などと言いながら、軍事的な介入をして来たことだろうか。そして、その結果はどうであったか。朝鮮戦争ベトナム戦争を別としても、イラクアフガニスタン、それにシリアやエジプト、中東から北アフリカにかけての広範な地域での紛争がいつまでも続き、大勢の人々を過酷で悲惨な状況に落とし込めて来ているのが歴史的な事実である。

 今回のミャンマー政変の報道も、アメリカ主導の外からの発信が主流で、他国の報道もそれに追随していることが多いので、実際のところは果たしてどうなのか、大勢の国民がいつまでもデモを続けているので、深刻な問題が起こっていることは確かであろうが、判断は慎重にすべきであろう。日本での報道も、欧米的な価値観によるものの影響が大きので、果たして全てが偏りのない事実と見て良いのか、詳しいことはわからない。

 アメリカは常に”アメリカ流の民主主義”を普遍的な価値として全面的に押し出し、そのもとで判断し、対応しているが、実際には、そう簡単に判断し得るものではない。その国、その地方により、歴史も異なるし、社会や経済の発達段階も異なる。複雑な国内事情もあるであろう。外から自分らの価値観だけで判断すべきではなかろう。

 ミャンマーは先の第二次世界大戦当時より、イギリスの植民地からの独立を勝ち取るためにアウンサン将軍たちが努力し、紆余曲折を経て、戦後に独立を果たした経緯もあり、ずっと軍部が政権を握り、鎖国状態に近い形で来た末に、将軍の長女であるスーチー氏を立てた民衆がNLDを組織し、選挙にも勝ち、軍部とも妥協して、ようやく民主的政権が出来ていたところであった。

 それが今回の選挙でスーチー氏側のNLD が勝ち、軍部が負けた結果、軍部がクーデターを起こして権力を奪取したということらしいが、詳しいことはわからない。

 こういう国内問題である政変などについては、以前は「内政不干渉」というのが国際的に一般的なルールとされることが多かったのだが、戦後になって、アメリカが世界の超大国になると、国連などを通じて世界の指導者として、”アメリカ流民主主義”を普遍的な価値として他国に押し付けることが多くなっている。

 ミャンマーの場合も、軍事的独裁政権には私は断固反対したいが、それはあくまでも部外者の希望に留まる。国内の詳しい事情がわからないのに、外部の者の価値観で干渉すべきではなく、国内での成果を希望を持って見守るべきであろう。アメリカも軍事政権への制裁などは控えて、中立的な立場で、国内問題に干渉することなく、静かに経過を観察すべきことを望むものである。