階段の手摺り

 急な階段には手摺りがないと昇降しにくいが、普通の駅や通りの階段、あるいは家の階段にしても、若い時には手摺りがあっても利用することはなく、無用の長物の様なものであったが、歳を取るとそれが必需品となる。

 登る時には手摺りに頼ると楽だし、降りる時には転落を防ぎ、命を守ってくれることもある。今でも覚えているのは、大阪駅と阪急の間の最初に出来た歩道橋から降りる階段があったが、その階段から転げ落ちて死んだ男性がいた。それまで街の中の階段で転落死するなど考えてもいなかったので、よく通っていた所だけに、恐怖を覚えたものだった。

 それまで私は旧海軍兵学校で訓練され名残で、階段は上りは一段跳びに、下りはそのまま、走って昇降するのが習慣になっていた。もともと慌てん坊だった私には性が合うのか、駅の階段などでも、電車から一番に飛び出し、階段を真っ先に走って降りるのが好きであった。

 しかし、歳をとると運動神経も鈍るのか、階段を踏み外しそうになることが起こり、以来階段を降りる時には、走って降りるのはそのままだったが、手すりに手を添えて、いつでも手摺りを持てるようにして降りる様にしていた。

 おかげである雨の日に、本町の地下鉄駅の階段を降りる時、濡れていたためか、滑って段を踏み外したが、咄嗟に左手で手摺りを掴んだので、体が回転して右側の頬や肩を壁に打ちつけただけで、転落を防げたことがあった。

 それを受けて、以来、階段を降りる時には、走るのを止めて慎重に降りる様にした。おかげでずっと年をとってからだが、酩酊状態で帰宅途上に駅の階段を踏み外した事故を起こしたが、無意識に手すりを掴んだらしく。転落はせず、側壁で前頭部を強く打って怪我しただけで済んだのであった。 

 階段の事故は結構多いものの様である。しかし、私にとっては、今ではもう走って登ったり降りたりは体が許してくれないし、それより手摺りにしがみついて、一段一段ようやく上がり降りするのがやっとのことが多いので、手摺りは必需品であり、手摺りのない階段では、昇降を諦めるよりないことになってしまっている。