資本主義の終わりか。人類の終焉か。

 「資本主義の終わりか? 人類の終焉か 未来への大分岐」という本がある。斎藤公平編で

ネグリとハート共著の「帝国」で有名なハート、「何故世界は存在しないのか」のマルクス・ガブリエル、それに「ポストキャピタリズム」で資本主義は情報テクノロジーで崩壊すると主張するジャーナリストポール・メイソンの各々との対話をまとめた新書である。

 「人新世の資本論」で有名になった斎藤幸平氏が、いよいよ息詰まった資本主義の打開策を考え未来への展望を開こうとして、各氏の意見を聞き議論を展開したものであるが、いずれも資本主義の行き詰まった現状では一致するが、その打開策、未来への展望、そこへの道筋についてはそれぞれの多少異なっている。

 もはや社会の巨大製造業の時代は過ぎ、情報産業とでもいうべき時代となり、資本主義の営みも変わったが、社会の格差は極端になり、地球温暖化などで追い詰められ、最早収益も悪化し、喘ぎながらも止めることの出来ない自転車操業を続けざるを得ない状態となっている。

 世界はまさに資本主義の終わりか、人類の終焉かの未来の大分岐に向かって進んでいると言っても良いであろう。それにどう対処するかが問われているのだが、それに対する的確な答えはいまだにない。

 この対話で共通しているのは人々によるコモンの確立が将来の希望であるが、それへの道筋としては、一時代前のプロレタリア革命は非現実的として誰しも取り上げていないが、それに代わる道筋はまだまだ確かなものは見出されていない。

 ハートはネグリと共に実現可能な行動について三つの方向性を打ち出しているが、1)Basic Income 2)移動の自由 3)生産手段を取り戻すことを挙げているが、1)については私も斎藤同様、今のままでするなら返って貧困化につながり否定的である。

 またガブリエルの新実存主義には教えられることも多いが、将来についての展望や道筋については明らかでないし、最後のメイソンの情報産業の発達により、将来人々の生活コストはただになり、資本家の儲けはゼロに近づくというのも想像の世界に過ぎず、実現可能性は極めて薄い。資本家がどう反応するかが無視されており、とても将来の希望とはなり得ない。

 人新世における地球の温暖化を資本主義社会がいかに乗り越えられるか。それが出来なければ人類の終焉につながるであろう。自転車操業の資本主義がいかにこの苦境を乗り越えられるのか、はたまた資本主義に変わるシステムを人々が獲得出来るのか。

 いずれにしても、もう私のいない世界の話であるが、やはり人類が何とか曲がりなりにもこの危機を乗り越えて、二十二世紀以後も繁栄していくことを望まないではおれない。