儲けるためのSDGs

 SDGs(Sustenable Deveropment Goals=持続可能な開発目標)という言葉は今や人口に膾炙し、知らない人もいないぐらいポピュラーな言葉になっている。

 人々が無限と思っていた地球も、これだけ人口が増え、産業が盛んになって開発が進むと、「人新生」と言われる如くに、人間の活動が最早地球に非可逆的な痕跡を残すようになり、地球は決して無限の宝庫ではなくなり、有限の存在であり、人々がその積もりで利用して行かなければ、地球も不可逆的な変化に陥り、それと共に人間も生きて行けないことになることが次第に明らかになってきた。

 地球の温暖化が叫ばれ、この夏の世界的な猛暑や、度重なる大災害などを体験すると、どうも地球に重大な変化が実際に起きてきており、これを何とかしなければ、本当に地球は人が住めない世界になってしまうのではなかろうかという不安に襲われる。果たしてこのまま現代の資本主義文明をいつまでも続けられるのであろうか疑問になる。

 しかし、資本主義は自転車操業だから、そうだからと言って従来からの開発、拡大を止める訳にはいかない。SDGsが言われ出し ても、表面的には納得し同調しても、それに対する実際の対策としては、何とかこれを遅らせたり、免れる方策はないものかと考えるだけではなく、これを機会にこの新しい分野で、また儲ける方法はないものかと探る者さえ多くなる。

 電気自動車なども、CO2削減を良い口実と捕まえて、華々しく発展しつつあるが、これも単に地球の保全のためというより、従来のエンジン車の競争があまりにも激しくなり、SDGsを機会に、場面を変えて新たな分野で、競争をやり直そうとするものである。

 EVエンジンを作るにも、CO2を大量に出すようで、それがどれだけSDGsに寄与するのか必ずしも明確ではなさそうである。現在の世界の産業規模を大幅に減らすか、根本的に産業のあり方を変えるかしなければ、CO2削減にはあまり繋がらないと言われる。

 先進国がその大量消費を減らし、減らした分を未発達国へ回すやり方でもしなければ、トータルとしての地球のCO2削減にはなかなか繋がらない。今の資本主義の、世界の大勢ではそれがどこまで出来るか甚だ疑問である。

 資本主義は原則その規模を縮小してしまったり、止めてしまうことが出来ないので、SDGsも見せかけで、実際には新しい分野として、SDGsを口実に利用して、新たの儲け口として先端部分の競争が始まり、それを利用しようとすることになるのであろう。

 事実、エコと称して、グリーンウオッシュと言われる見せかけだけで、実態の伴わない「環境配慮」も問題になっており、その表示や投資対象に科学的な裏付けを求める声が上がってきている。エコといって石炭火力にアンモニアを混ぜて発電するといっているのもあるが、それでは殆どCO2削減にはならないことがわかっているそようだが、そんな例も多いようである。

 アメリカの保守系団体からも「気候変動対策は政府がやるべきことで、環境・社会・ガバナンス(ESG)投資では満足なリターンなど実現できない」との声も上がり、見せかけだけで実態の伴わない ESG投資はそれを隠れ蓑に企業幹部が私服を肥やしているだけではないかと云う疑念も持たれ、それらに対する投資額も大きく減っているとかである。

 環境を主張する場合には、科学的根拠に基づく客観的で具体的な表示が必要だと言われているが、グリーンウオッシュの問題でも明らかなように、どこまで資本主義が真剣にS DGsに取り組むことが出来るであろうか甚だ疑問である。