この世に思い残すこと

 

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 1928年に生まれ、「大日本帝国」に純粋培養されたように育てられ、”忠君愛国の熱情”から海軍に行き、敗戦で全てを失い、長い間の虚無の世界を彷徨った末に、曲がりなりにも戦後の世界をここまで生きてきた。早、天寿を全うするに近い所まで来れたのだから、この生に感謝こそすれ、特段、他に思い残すこともないが、一つだけ。

 何とかなって欲しいものだとずっと思いながら、とうとう自分の生きている間に叶わなかったことである。日本の国がもう一度完全な独立国になり、国民が真の主人公になることである。

 1945年の敗戦後、日本は米国と安全保障条約や地位協定を結び、以来、完全にアメリカの従属国となり、アメリカ軍に基地を提供し、日本国内におけるアメリカ軍の行動の自由を保障し、これによりアメリカ軍の地位や行動は日本の憲法を超えるもので、日本は完全にアメリカの従属国になっている。

 こういう不平等条約は明治の初めの開国当時にもあり、1854年以来、外国人の治外法権関税自主権の放棄などが続いたが、明治政府の努力により、1894年の日英新通商航海条約まで40年、1911年の税権の回復まで57年かかったが、ようやく対等な独立国となることが出来たのである。

 しかし、その不平等条約からの脱却は、僅かに34年そこそこしか続かなかった。あの忌まわしい戦争の敗戦によって、日本は再び主権を失い、今度はアメリカとの日米安全保障条約なる不平等条約を結ばされたのである。

 以来、今日までずっとこのアメリカとの不平等条約は続いており、その期間は既に以前の不平等条約の57年をはるかに越え、今日2022年で敗戦後77年にまでなっている。明治維新から敗戦までの77年間と丁度同じ長さになってしまっているのである。

 しかも、問題はその国民を悩ませている不平等条約は改善に向かっているのではなく、政府は今なお、現状を出来るだけ国民から隠し、国民に我慢を強いながら、アメリカにはますます積極的に過剰なサービスさえ加えて、その意向に従い、アメリカの軍事政策に協力し、平等な条約にしようとする意思さえ持っていないことである。

 日本政府はアメリカ軍の基地を出来るだけ沖縄に集中して、国民の目から遠ざけ、全沖縄県民の切実な願望をも無視して、辺野古基地移設などには霞が関を総動員して、積極的に米軍基地建設に協力し、自衛隊の積極的な米軍支援の役割を推し進めている。米軍の駐留に伴う沖縄県民の被害や生活の困難に対しては政府は真剣に答えようとはしていない。

 沖縄戦の最期に海軍の大田司令官の打った電文「沖縄県民斯く戦へり、県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを」などは無視され、昭和天皇は沖縄の米軍支配の継続を容認し、菅前首相は「私は戦後生まれだから戦争のことは知らない」というのが国の態度である。

 しかし、アメリカにとっては沖縄だけが日本ではない、日本を支配する米軍は本州にも横田基地の司令部を中心に、多くの空軍基地、軍港を持ち、全国の制空権を握り、本国では禁止されている住宅地上でのオスプレイや、東京都内でのヘリコプターの低空飛行なども自由に行い、日本政府はそれらを止めることさえ出来ない。沖縄における米軍はコロナの検疫さえ受けずに飛来し、現実に米兵のクラスターからオミクロンの蔓延が起こっている。

 文頭に掲げた表に見るように、日本と同じ第二次世界大戦の敗戦国であり、今も米軍が駐留しているドイツやイタリアでも、相互防衛協定は平等な関係の条約となっており、米軍基地への立入検査さえ行われているようである。

 日米同盟の重要さが強調されており、日米安保条約を続けることが最善策であったとしても、日本がこの条約を対等なものにすることは、相互に利することでもある。せめて対等な条約にすべく、政府はアメリカと交渉すべきではなかろうか。かってアメリカの植民地であったフイリピンでさえ、米比条約を破棄し、米軍基地を廃止したことさえあったのである。

 私の死後のことになっても、何とか日米安保条約が破棄、ないし改正されて、日米間の条約が完全に平等な条約となり、日本が真の独立国になることを切に願い、夢見るものである。私にとっては、それが何としても、死んでも死に切れないような心残りなことなのである。