はたき ほうき 塵取り 火叩き
火鉢 火箸 ご徳 灰押さえ 竈 炭火 練炭 火吹き 炬燵 湯たんぽ
股引き ステテコ 猿股 ふんどし ズロース ブルマー ゲートル 脚絆
洗い張り しんしばり 丹前 夜着
鉛筆 ペン シャープペン インク 筆 帳面
キセル パイプ タバコ盆 タバコ皿 ラオ マッチ マッチ棒 マッチ箱 ライター
蠅叩き 蝿取り紙 肥壺 厠 納屋 蚊帳
カンテラ ろうそく 蓑 水筒 唐傘
戸板 みかん箱 衝立 鴨居 欄間
水飲み場 役場 井戸 水汲ポンプ 鶴瓶 洗濯板 井戸 たわし 柄杓 バケツ 洗面器
洗い桶 五右衛門風呂 檜風呂
夜汽車 三等車 鈍行
下駄 鼻緒 草履 呉座 筵
馬車 牛車 牛小屋 馬小屋 人力車
私が子供だった戦前には、何処にでも普通にあり、日常生活で重宝されていたもので、今はもう殆ど消えて見なくなってしまったものを、思いつくままに書き出してみたのが上記の物たちである。まだまだあるであろうが、これだけでも、もういつの間にか、こんなにも沢山なものが消えてしまったことがわかる。
世の中が変われば当然そこで使われる品々も変わっていくのであろうが、これらの多くのものは随分昔から受け継がれてきて、広く使われてきたものが多いが、明治時代になって西洋文化が広く入ってきてから新たにこの国でも広く使われる様になったものもある。しかし、いずれにしろ、多くのものはもう百年以上も前から、代々受け継がれて、使い続けられて来たものばかりである。
こんなに多くのものが日常生活から消え、新しいものに置き換えられてしまったのは、戦争が終わり、高度成長時代になり、どんどん新しいものが生み出されて来た最近の資本主義社会の発展によるものである。
今は高度成長、大量生産、大量廃棄の時代で商品の回転も早く、新しいものが現れても、やがては古くなり、新しいものに置き換えられて行く時代である。ここにはあげなかったが、戦後の高度経済成長の時代になってから現れたものなのに、最早消えてしまって、今や記憶の中だけのものになってしまったものもある。
音の記録だけでも、手回し蓄音機から SP、LPなどのレコードを経て、オープンリールのテープになったかと思えば、やがてカセットテープとなり、次いでCDとなり、それも束の間、今はもうインターネットの時代になってしまっているのが象徴的である。
あるものを大事にいつまでも使おうという時代は終わり、今では、技術開発により新しいものを開発しては売り込み、更に新しいものに切り替えては競争し、また新しいものを売り付け、次々に新しい市場を開拓していくという、飽くことのない自転車操業の資本主義の時代である。便利さ、物珍しさの代償にどれだけ地球の資源を浪費していることであろうか。
SDGsなどとも言われているが、自らそれを止めることが出来ない自転車操業の資本主義がこの先きどうなって行くのであろうか。将来が不安である。