政府は沖縄問題をどこまで誤魔化そうとするのか

 沖縄では住民のこぞっての反対を押し切っての、政府による辺野古の強引な埋め立てが始まり、米軍基地でのPFOAの放出や、オスプレイの墜落、米軍人による婦女子暴行事件の頻発が起こり、しかも政府が事件を県へ連絡せず、有耶無耶に処理しようとしたことが明るみに出たりするようなことが起こっている。

 沖縄住民の苦しみは、それに対する政府との交渉では埒が開かないので、沖縄県の知事が直接アメリカへ赴いて窮状を訴えるべくアメリカに旅立った。

 丁度その同じ時期に、自民党の党首を決めるべく、自民党内の選挙が行われることになり、現在9人もの候補者が立候補している。ところが、その誰一人として、沖縄問題に触れることがないのはどうしたことであろうか。

 また、こういう実態に触れようとして沖縄旅行を計画し、その機会に沖縄観光もと考えて、沖縄の案内書を買ったら、親切で詳しい観光案内がいっぱい載っていたが、沖縄の米軍基地のことには全く触れていないのでびっくりしたという話も聞いた。

 以前に私が実際に沖縄へ行った時の印象はこうであった。少し高い丘の上から周囲を広く見渡したことがあったが、広い緑に覆われて良さそうに見える所は殆ど全て米軍基地やその関連施設で、それらの間の狭苦しい所にぎっしりと小さな建物が詰まっている所が沖縄の人々が住む生活域となっているのを見た印象が強く、沖縄の実態が判るような気がしたのをいまだに忘れられない。

 先の大戦で、本土決戦を遅らせようとした沖縄戦は「鉄の台風」と言われた如く圧倒的な米軍の上陸戦により、全住民の四人に一人が命を落とした悲惨な戦いであったことは周知の事実である。それを指導した司令官の辞世が自衛隊に利用されて問題になったが、その大本営へ向けた最後の電報は「沖縄の人々はよくっ戦った。将来特別のご配慮を」というものであったらしいが、その結果が80年たった今も消えない沖縄の人々の苦しみの連続なのである。

 政府も日米安保条約アメリカの属国となり、昭和天皇が「沖縄はアメリカにやっても仕方ないだろう」というようなことを言ったそうだし、政府も本州での基地反対運動のことなども考慮して、米軍基地を沖縄に集中させる結果に至ったのである。

 沖縄は日本でありながら、もう日本ではないのではなかろうか。アテネでオリンピックのあった時、沖縄の大学に米軍のヘリが落ちたが、東京の新聞の一面ははオリンピックやプロ野球で埋まり、沖縄出身の人の「アテネでは成果が燃えているが、沖縄ではヘリが燃えてるばーよ」というギャグが語られたとか、誰かが書いていた。

 もう日本の人にとっては、沖縄での出来事は他所の国の話なのであろうか。沖縄でオスプレイが落ちても「沖縄で飛ばすな」ではなく「米兵がかわいそう」と言った発信があったそうである。

 日米安保条約地位協定は沖縄だけでなく、日本の全国に有効なものである。沖縄で起こったことは当然日本のどこででも起こりうる問題だということを今からしっかり理解しておくべきであろう。政府の進める日米同盟による軍拡が進めば進むほど、米軍基地や米軍の行動が本州に与える影響は大きくなるであろう。

 沖縄の問題は日本全体の問題である。今からでも、もっと身近な問題としてしっかれ向き合って、やがてやって来る今後に備えるべきであろう。