自衛隊は国民を守らない

 自衛隊をも含む軍隊とは決して国民を守るために存在しているものではない。

 嘘だと思う人がいたら沖縄の人に聞いてみると良い。かっての沖縄戦の時に、旧日本軍がどれだけ日本人を殺したことであろうか。軍隊の都合で避難していた壕から追い出され、米軍に通報した反逆者だと言って殺され、子供の泣き声がうるさいと言って殺され、また、降伏するより自決だと言って集団自決させらりした、はっきりとした歴史があるのである。

 旧大日本帝国でなく、自衛隊に関しても。旧ソ連が北海道に侵攻して来た時のことを想定した自衛隊の机上作戦でも、札幌は人口も多く守りきれないので、自衛隊は一旦後退して山中に移り、そこを拠点に反転攻勢を試みるという筋書きになったそうである。

 そんな昔のことでなくとも、現在展開している南西諸島でも、小さな島に敵基地を攻撃出来る遠距離ミサイルなどの配備はどう考えても、敵基地を攻撃出来ても、地元の住民を反撃から守るものではない。現に島民の本州などへの疎開の練習まで考えられている。戦争末期の疎開船、対馬丸の撃沈のことを思い出さないではおれない。

 小さな島の基地は攻撃には便利であっても、反撃に対して島の住民を守るには適していない。小さな島では逃げる所がないし、島から逃げれば、海の藻屑ともなりかねない。現に石垣島では下記のような要望書を政府い出してミサイル配置に反対している。

 軍隊は政府や国家の中枢のためにあるものであり、決して国民のためにあるものではない。国のためと言って愛国心に訴え、忠誠心まで持ち出して徴兵制度を作り、無理やり若者を戦場に送り込もうとするが、それを命令したものは決して自ら戦地に行って戦うようなことはしない。

 しかも、自衛隊アメリカ軍の統制化にあり、日本のためにではなく、アメリカのために戦わされることになっているのである。

 国民は決してアメリカのためや政府のために、尊い命を失ってはならない。逃げても良い。国のために戦おうなどとは決して思ってはならない。今の軍隊、自衛隊アメリカ軍は決して我々国民を守るために存在しているものではないことをくれぐれも心に銘記ておくべきである。

                    要望書