人口減少は悪か

 戦前は人口が多過ぎるのが問題であった。子供の頃に、世界地図で小さな日本列島を見せられて、こんな小さな島国で7千万人もの人間(当時の日本の人口)が食って行けるはずがないだろうと言われたことを覚えている。実際、当時の日本はまだ貧しく、国の財政は赤字で、海外への出稼ぎや移民からの仕送りで、どうにか帳尻を合わせていたようである。

 ところが、戦後の朝鮮戦争ベトナム戦争の”特需”で、復興してくると、昭和30年代には人口が増えたにも関われず、お米が余るようになって、減反政策が採られるようにさえなった。その後は高度経済成長が続き、ニクソンショックも過ぎ、1980年代には”Japan as No.1”、一億総中流などと言われる日本の黄金時代が出現した。

 しかし、それも束の間、高度成長時代が過ぎ、1990年代のバブル崩壊以降は延々と不況の時代が続き、少子高齢化が進み、人口減少が進んで来た。最早高度成長は夢となり、I T化も遅れ、新自由主義で社会の二極化が進み、産業の停滞も止まらない。

 労働力を補うために、ブラジルの日系二世から始まる外国人労働者を受け入れて、労働力を確保しようとしてきたが、移民を嫌う政府の立場から、それもなかなか思うようには進まない。色々なトラブルも起こっている。このままではやがて顕著になるであろう移民の周辺国との争奪戦にも勝ち残れないのではないかと危惧される。

 だが、ここでちょっと考え直してみてはどうだろう。伸び悩む経済成長率がいつも問題になっているが、経済は必ず高度成長しなければならないものなのだろうかと。

 そもそも少子高齢化は、少しでも幸福に暮らしたいという国民の願望に由来するものであり、決して悪いものではない。そうであれば、少子高齢化で減少した人間に合わせた産業構造や規模にすれば良いのではないか。必ずしも従来からの延長線上に、経済成長を考えなくとも良いのではないか。目標は国の産業規模ではなく、国民の幸福度ではなかろうか。

 勿論、他国からの移住者も希望があらば、どんどん受け容れて住んで貰えば良いのではないか。多様な人間が多いほど、新しい多様な文化、新しい産業なども発展する可能性も増えるであろう。

 経済大国よりも、人口に見合った新しい文化の創造者である幸福な国こそが国民の求める未来の祖国なのではないだろうか。今や地球も人新世と言われる時代となり、SDGsを目指さねば、人類社会の将来が危ぶまれる時代になって来ているのである。産業の規模より、その内容、分配のあり方、その結果としての国民の幸福をこそ目標とすべきではなかろうか。