ますます拡大する経済格差

 資本主義社会は競争社会であるから必然的に格差が生まれる。

 今日テレビを見ていたら、たまたまフランスから沖縄に移住してきた沖縄三味線(さんしん)の奏者が、沖縄は競争社会でなく、皆が助け合って暮らしているので、住みやすいのが何よりだと感想を述べていたが、ここ納得した。ここ200年ばかりの間に資本主義が世界中を覆い、今や人々は競争のために心身をすり減らし、お互いに助け合って暮らしていた昔の生活を殆ど忘れかけてしまっている。

 資本主義社会が極端に進み 格差が大きくなり、強者の独占が進み、税金や社会保障で救済する範囲をはるかに越えて寡占化が進んでしまい、同じ人間でありながら、地球上の人類の95%以上の人たちの全財産を合わせたよりも、僅か5%にも満たない一部の人達だけがそれより多い財産を独占していることが明らかになっているのである。

 日本では高度成長時代頃までは、そこまで格差はひどくなかったが、アメリカなどを追って、いわゆる新しい資本主義の時代になるとともに格差は急速に広がり、労働者の賃金は日本に限ってここ10年も上昇せず、トリップルダウンの潤いがもたらされるわけもなく、その日の生活にも困るような人たちが増えているにもかかわらず、大企業の経営者などの報酬は増え、格差は今や人々の許容範囲を超えて広がってきている。

 過日の新聞によれば、東芝は経営の失敗から、会社の3分割だとか、上場廃止などまで言われているのに、報酬が1億円以上の役員が13人もいて、前年の1人から大きく増えたそうである。その他の会社でも、報酬が一億円を超えた役員が多い企業としては、日立製作所が18人、三菱 UFJグループが13人、三井物産が9人などと多く、役員報酬額の上位者を見ると、Zホールディングスの取締役の人が43億円でトップで、以下、19.0億円、18.8億、 18.5億、16.6億、 11.7億と庶民にとっては目が眩むような金額である。

 この格差がある上に、年々上がる消費税は貧富の差なく、生活に必須な食料品まで、金持ちも貧乏人も同率でかかるのに、所得税は年収1億円を超えると、その率が下がることすらあるのである。

 恐らく、アメリカなどだったら更に激しい格差が見られるのであろうが、これだけ格差が酷くても、アメリカは民主主義の国と言えるのであろうか。強者の自由だけが民主主義であろうか。自由とともに平等、博愛があって初めて民主主義は成立するものであろう。ニューヨークでかってあったウオール街の占拠でも、多くの民衆が主張していたように、アメリカが普遍的価値とする民主主義なるものは、最早強い者の自由であり、生活の自由さえ奪われた多くの人々にとっての民主主義とは言い難いのではなかろうか。

 産業や技術が発達してきた現代では、かって言われたように誰もが「その能力に従って働き、必要に応じて手に入れる」時代も可能になりつつあるのである。強者の自由な競争よりも、相互に助け合う、自由で平等な社会こそ、目指すべく民主主義ではなかろうか。