昭和天皇の戦争関与

 8月8日の朝日新聞のオピニオン&フォーラムに昭和天皇の戦争関与という歴史学者山田朗氏のインタビュー記事が載っていた。

 「昭和天皇は最後まで日米開戦を避けようとしていたという話が広く信じられていますが、事実でしょうか」との質問に「開戦の年の10月には、宣戦布告の詔書の作り方を側近に相談しており、11月には軍の説く主戦論に説得され、最終的には天皇は開戦を決断したのです」大日本帝国憲法では天皇大元帥、つまり日本軍の総司令官であり、大本営午前会議では活発に発言していた実態も資料から明らかだそうである。

 我々国民の側から見れば、そんな議論をするまでもなく、私を含め殆どの国民にとっては、国民は天皇のために戦い、天皇のために死ぬのが本望だとされていた。天皇は現人神であり、大元帥陛下であり、「上官の命令は陛下の命令と心得よ」と言われ、「陛下に置かせられましては」と言われただけで、直立不動の「気をつけ」の姿勢をとらなければ不忠者として殴られたし、「陛下の御為には身は鴻毛の如く軽く、天皇陛下万歳と唱えて死ぬのだ」と教育された。

 明治のはじめ、日本人にはキリスト教のような絶対的な神への信仰がないことを憂いた為政者が神仏分離をして神道をそれに当てて以来、次第に神道を国民の統一の要としたが、それが次第に高じて、天皇の神格化が進み、天皇が「現人神」となり、日本が皇国、神国と言われるようになり、神がかりな天佑神助までが信じられるようになって来ていた。

 こういうシステムの中では、天皇個人がヒトラーやムソリーにのような独裁者でなくとも、軍部をはじめとする官僚機構に乗せられて、現人神から天皇陛下大元帥陛下などと、現実の世界から神がかりな世界まで、その役割を果たさねばならなかったであろう。当然それに伴う責任も背負はねばならないことになる。

 かくして、その世界の破綻に際しては責任を取らねばならないが、宗教的とも言える国民の支持を背景に、占領軍の罰を免れたのは幸運であったが、国民への謝罪が適切であったとは言い難い。戦後の全国周遊でも、「ああ、そう」だけで、謝罪の声は聴かれなかったし、その最期まで、遂に国民に対する謝罪も、慰労の声さえ聞かれなかったのは残念である。

 あれほど多くの国民が天皇陛下のために働き、傷つき、命を投げ出し、敗戦に際しては天皇に申し訳ないと自刃した人までいるのに、それらの国民に天皇は何も言わずに死んでいってしまったことは残念でならない結末であったことを忘れることは出来ない。