アテンションエコノミー

 最近「アテンションエコノミー」という言葉をよく聞くようになった。要は正しいか間違っているかより、人の注目を集めるような記事や広告が注目されて、お金にもなるということらしい。

 近頃は、グーグルなどのプラットフォーマーと呼ばれる巨大IT企業が事実上、言論のゲートキーパーになっており、あらゆるコンテンツがプラットフォーマーを介して届けられる。メディアもプラットフォーマーの設定する土俵で争わなければならなくなっている。

 ところが、プラットフォーマーは私企業だから、経済的利益を上げることに主眼がおかれる。そのビジネスモデルである利用者の関心(アテンション)をひきつけて広告を閲覧させるのが「アテンションエコノミーで、その行き過ぎが問題となっている。

 内容の信頼性や説得力ではなく、どのぐらい強い刺激を与えて関心を得るかの競争になっている。閲覧履歴など個人データに基づいて、その人が反応しやすい内容に絞って強力な仕組みで情報を薦めるので、強制的に情報を「食べさせられている」状況に近づいている。

 最近ではレストランで常連客にタダで食事を提供し、それをSNSに載せて集客に利用したり、レシートの写真を撮って送ればポイントがつき、それを集めて顧客の動向を知ろうというのもあるらしい。場末のラーメン屋である一軒の店にだけ長蛇の列ができているような場面に出くわすことがある。多くはSNSでの広告に成功した店のようである。

 ただ、恐ろしいのは仕組みが受け手には分からないために、読んだ記事があたかも中立的であるかのように錯覚しかねないことである。例えば、イスラエルのガザ攻撃でも、あまりにもジェノサイドが悲惨なので、毎回SNSを見る毎に”いいね”を押していたら、そんな記事ばかりになって、他の視点からの情報が見られなくなった感じがする。買い物でも何かを買うとして調べようとすると、関連した不要な似たもの広告ばかりを見せられることになる。

 そこから思えば、SNSのニュースなどもセレクトされた見方のものばかりを読まされているのではないかと思わせられる。アテンションエコノミーは、本人も十分に意識出来ない人間の認知的な過程を巧妙に刺激し、それへの反射的な反応を利用するわけである。

 自分で理性的に制御することが難しく、「リコメンド」に方向づけられるがままに情報を摂取し続けてしまう。感情や思考もそれに引っ張られ、意思決定が操作されるリスクもあるだろう。選挙や世論形成に、政治的、社会的に人々を思わぬ方向に誘導する恐れにも気をつけねばならないであろう。