起死回生

 今年の前半は私にとって大変な時期であった。色々なことがあった。

 昨年12月の中頃、トライウオーカーで軽い降り坂を歩行中、前輪が歩道に架けられた溝の蓋の隙間に嵌頓して体全体が前方に転倒し、両腿を倒れたフレームに強く打ちつける事故があった。それが全ての初めであった。

 幸い骨折も外傷もなく、家に帰ってからも打撲による両大腿の痛みだけで済んだが、年が変わってしばらくすると、両大腿に大きな紫斑が出現、中での出血が外まで染み出して来たのかなと思っていたら、それがようやく消えた頃、ある朝突然、両大腿の付け根から足指の先までが、小さな無数の点状出血に覆われているのに気づいた。まるで満天の赤い星の様に綺麗だったが、これはもうただごとではない。

 しばらく様子を見たが、全然引きそうにもない。近医で調べてもらったら、血小板数が普通なら15万から35万ぐらいあるのが、たったの二千しかなく、病院を紹介された。病院の血液内科では、「出血が止まらないで、血まみれになって死んだ人もいる」と脅かされ、入院させられた。

 ところがこの春には、アメリカにいる三人の孫たちが順繰りに来ることになっており、当方の歳から言っても、これが最後の出会いになるであろうと期待していたので、病気の治療もさることながら、それより孫たちに元気な姿を見せてやることの方を優先させるべきだと考えて、医師を説得して、血小板輸血やガンマーグロブリンの大量投与を5日間済ませて無理やり退院させてもらった。

 譬へこの免疫性血小板減少性紫斑病が命取りになったとしても、95歳の老人の残りの人生は短い。何かではやがて死ぬ身、孫たちに元気な顔を見せてやることの方が治療より優先させるべきだと考えて判断したものであった。

 この判断は今でも間違っていなかったと思っている。当時はまだ自覚的には比較的元気だったので、孫たちと一緒に花見も出来たし、一緒に食事をしたり、くつろいで楽しむ機会も持てた。更には、この元気な間に孫たちだけでなく、2歳年上の白寿の姉を見舞うことも出来たし、その息子の甥にも会えた。たまたま知人の演奏会に来阪した死んだ弟の姪も訪ねて来てくれた。そう言えば今年にはその弟の小笠原に定住してしまった甥もひょっこり姿を見せてくれたのだった。

 ただ、その後は血小板の少ないまま、口腔や他の粘膜からの出血も加わり、黒色便が続き、次第に息切れもし、日常生活に支障を来たす様になり。外来診察の予約日に受診して、再入院させてもらった。今度は治療もしっかりやって貰ったおかげで、血小板数も増え始め、紫斑なども嘘の様に消えて皮膚も綺麗になり、二週間の入院生活が退屈する様になり、退院させてもらった。

 丁度その頃にはニューヨークの上の娘夫妻も来てくれたし、歌手をしている死んだ旧友の娘さんも、公演の合間を縫って訪ねて来てくれた。正月には従兄弟の夫婦も訪ねて来てくれていたので、これで実質的に全ての身内が来てくれたことになる。初めに入院した頃には考えられなかった結果になった。

 初めは正直なところ、もう死を覚悟していたが、まだ完全とは言えないものの、自覚的にも元気を取り戻せたし、血小板も増えて出血は皆無となり、貧血もよくなりつつあるのか、自覚的にも次第に元気になって来た。6月25日外来受診時の検査の結果では、血小板数が8万、ヘモグロビンも10.7に回復し、嬉しくなって病院から家まで歩いて帰った。正に起死回生と言っても良いであろう。

 どうも神さんがもう少し生きよと言ってくれている様である。