送料無料

 いつ頃からだろうか、最近は池田のような郊外都市でも、クロネコヤマトや佐川急便の配送業者のトラックとともに、バイクの個人配送業者のバイクが目につくようになった。

 コロナが流行るようになってから、チェーンの料理屋の出前が増えたためでもあろうが、SNSなどの直接販売の配送を請け負っているバイクも増えているようだ。

 アマゾンでも、他のSNSの広告でも、この頃は皆、「送料無料」が普通になっている。購買者の方はそれだけ安くなるので有難いが、新聞報道などによると、こういう配送業者は殆どが個人請負で、安い口銭なので、無理矢理走り回らねばならないのに、事故の補償などもなく、通常の労働者の権利も認められない人が多いそうである。

 これら契約を雇用関係にするなり、労働組合をつくり労働条件を改善を求めるなりの動きもあるようであるが、団結して交渉できる形まで持っていくのも大変で、なかなか進んでいるとは言えないようである。

 それに、自由の効く契約での労働を好む人もおり、また、賃金の上昇が購買品の物価高に跳ね返ったり、同業者の競争に負けたり、配送の仕事自体の減少に繋がりかねないなどの難しい面があるようである。

「送料無料」は有難いが、その裏には多くの犠牲を払っている労働者がおり、競争の激しい資本主義市場の論理が働いていることにも気を廻らせておきたいものである。

 同様のことは他の業界についても言えることで、例えばバングラデシュのような後進国での大量生産の縫製工場などでは、劣悪な環境下で大勢の労働者が働いているが、そのために消費者が安い定価で衣料品を買うことが出来ているのであり、働く条件を改善すれば、コストが上がり、同業者との競争に負け、労働の場を失うことにもなりかねず、品物の値段も上がり、購買者の利益にも反することになるようである。

 ひと頃のように、巨大製造産業の盛んな時期には労働者も集まり易く、団結して資本家と直接交渉し易かったが、今日のように多くの労働者を擁する大規模な生産現場が減り、第三次産業が主となるにつれて、労働者がバラバラにされ、資本者側の力が強くなって来たことが問題の解決を困難にして来ているが、それについては資本者側から故意に社会的に無視されている。

 新自由主義と言われる金融資本主義の元で、格差が巨大化するとともに、かっての資本主義の黎明期に見られたような、資本家階級の横暴が、形を変えて、バラバラにされた労働者階級にのしかかって来ているのが現在の社会ではなかろうか。

「送料無料」の広告から、ついこんなことを想像してしまった次第である。