老体は階段を降りるように

 96歳ともなると誰しも肉体の衰えは避けられないであろう。いくら元気だと言っても、臓器の働きは衰え、ゆとりが無くなってくる。

 成人してからずっと元気で大きな病気をしたこともなく、70歳代は終わりまでフルタイムで仕事もしていた。80歳を過ぎてパートの仕事だけにしたので、時間のゆとりも出来、歳をとったので適当に運動もしておくことも必要だろうと思って、毎朝ラジオ体操をすることにした。

 それからしばらくしてある朝、試みに腕立て伏せをしてみたら一回だけでも辛く、それ以上は出来なかった。これはいかんと思い、以来、腕立て伏せだけでなく、椅子から立ち上がるスクワットのような運動や、相撲の四股踏み、その他、次第に色々な種類の運動を取り入れて、自分なりの一連の運動を組み立て、それをラジオ体操の前にするようにした。

 元々歩くのは好きであちこち歩き回っていたので、散歩の距離を伸ばしたり、興味に惹かれてあちこち訪れたりなどと、歩行距離も一日一万歩を超えてるようなことさえ多かった。それも若い時からの癖で、いつもせっかちで前傾気味みにさっさと歩いており、いつまでも若々しいと言われて調子に乗って喜んでいた。

 ところが歳をとると如何に頑張ってみたところで、体力の衰えは嫌でも徐々に進んでいく様である。歩く速度が遅くなるし、思わぬ所で転んだりする様になる。今まであまり気にしなくて行けた所なのに途中で一休みしたくなる。

 何とかカバーして頑張ってても、遅かれ早かれどこかに破綻が来るものである。知らぬうちに衰えていくものもあれば、何かのきっかけで急に衰えることもある。最初の出来事は87歳の時の心筋梗塞であろう。循環器病研究センターに一週間入院させられ、ステント挿入の治療を受けた。さらに退院直後に血管副交感神経発作を起こし再入院のおまけまでついた。しかし幸いに軽く、回復もよく、半年も経たないうちに日常生活ばかりか運動も元に戻すことが出来、仕事も続けることが出来た。

 次が91歳の時である。まだ自分では元気だったので、熱海の向こうの真鶴半島の先端にある中川一政美術館を訪ね、半島の先から根元まで歩き回った翌朝のこと、今度は間欠性跛行で歩けなくなり、予定を変更して帰らざるを得なくなった。家に戻ってから病院で骨に異常のないことを確かめたが、丁度コロナが流行り出したので、通院をやめ、自分で歩く様にした。これも8ヶ月ぐらいかかったが、回復した。

 その後はコロナの流行のお蔭で近隣を動き回るだけで遠出も出来ず、大人しくしていたが、そこへ起こって来たのが今回の血小板減少性紫斑病である。これについてはもう書いたので省略するが、こうして何年かおきに思わぬ出来事が起こり、そのためにまた一段降りるように、老いが促進されて来たもののようである。

 老人の健康は、日々の生活の中で知らず知らずの間に衰えて行く臓器や体全体の機能に加えて、突然起こるこうした思わぬエピソードが加わることによって、また一段と階段を降りるように生命力をすり減らし、体を蝕み衰えさせていくもののようである。

 幸か不幸か、今回も何とか乗り越えられそうになって来たが、次にはいつどんなことが起こってくるのであろうか。もう何も特別なことが起こらなくても、やがては老衰死というのが待っているであろう。

 95歳を超えて特別な病気が見えにくい死亡は老衰死とされても良いようであるから、もう特別のことが起こらず、あまり苦しまずに老衰死させてもらえれば幸いなのではなかろうか。