先ずは下の二つの文章を読んで下さい。
①「第9条:日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
② 「防衛計画大綱が5年ぶりに改定された。宇宙やサイバーなども活用した「多次元統合防衛力」構築をうたうが、防衛構想というより、攻撃型装備の導入を前面に押し出した。具体的運用方針もあやふやなまま、護衛艦「いずも」の空母化に踏みきるなど、専守防衛を有名無実化させる内容で、軍拡を進める中国への強い対抗心がにじむ。
政府は米海兵隊仕様の戦闘機F35Bを導入、護衛艦「いずも」で離着艦できるよう改修する方針だ。大綱では、有事や警戒監視のほか、災害対処にも活用できるとしているが、災害対処に「空母出動」とは、さすがに説明に無理がある。中国が空母を相次いで建造していることを念頭に置き、運用構想そっちのけで「空母保有」の悲願を達成したいとの思いが透ける。
もう古くなったが、この2013年の大綱では、北朝鮮の脅威を強調し、弾道ミサイル防衛(MD)の重要性を強調した。だが、米朝対話の実現などを受けて、この時は北朝鮮よりも中国を強く牽制(けんせい)。「既存の国際秩序とは相いれない独自の主張に基づき、力を背景とした一方的な現状変更を試みる」と指摘している。
①は言うまでもなく、国家の基本的な政治のあり方を決めた憲法の第9条の条文で、②は2013年の大綱発表後間もない頃の朝日新聞の記事である。どんな物事も徐々に変わっていくものなので、日々の生活の中では、物事が少し変わってもそれほど強く感じないかも知れない。しかし、今、振り返ってみると、その変わり様の激しいことに気がついて驚かされる。
子供が読んでも分かるように、戦争をしない、軍隊を持たないと憲法にはっきり書いてあるのに、空母やミサイルまで持って、他国をいつでも攻撃できる強力な軍隊を持つという矛盾にびっくりするであろう。憲法は国民が政府にこれを守って政治をしてくれと委託しているものである。それが今でも生きているはずなのに、政府はこんな防衛計画を発表し。着々と実行に移してきているのある。
政府はこれまでも憲法を知りながら、初めはこそこそと、次第に大胆に、無理やり軍隊を作り上げて、それに合わせて逆に憲法を変えようと考えている。しかし、現行の憲法が生きていることは当然で、政府は憲法の許す範囲でしか行動出来ないことになっていることを考えれば、順序が逆であろう。先ずは憲法を守りましょう。憲法を守った上で議論して物事を進めるのが当然ではなかろうか。
戦争は突然起こるものではない。一段一段と準備が整えられ、造られていくものなのある。ある程度まで準備されてしまうと、もう引き返せなくなり、誰にも止めることが出来なくなってしまう事になる。
日本が昭和の時代に15年も戦争を続け、挙句の果てに負けて、国中が焼野が原になり、食うものも食えず、何百万の人が死んだり、住む所もなくなったりした、あの悲惨な戦争の前も同じ様であった。
治安維持法が出来、言論が次第に統制され、満州事変、上海事変が起こり、国際連盟を脱退し、日独伊三国同盟を結び、2.26事件が起こったりし、支那事変が起こって中国侵略が本格化し、やがて政党がなくなり、大政翼賛会が出来、軍人が政治を牛耳り、ノモンハン事件で大敗を喫したのに、米英を相手に戦争を始めることになってしまったのである。
もうその時になっては、長い間に積み重ねられてきて起こってしまったことに対して、もはや誰も止められず、まっしぐらに破滅の道へ進んで行くしかなかったのである。
歴史は繰り返すなどとも言われるが、特定秘密保護法、安全保障関連法、共謀罪法などと積み上がる法律や、外国の危機を煽っての軍備の増強、教育やメデイアへの政府の介入、官僚の政府への忖度など、十年前と比べても如何に世の中が変わってきているかがわかる。
悪名高き治安維持法の出来た当時は、新聞記事にもあるように、「これは伝家の宝刀のようなもので、そうやたらと適用されるものではない」と言われながら、時とともにどんどん適用範囲が広まり、ついには左翼の人だけでなく、政府に反対の意見を持っただけの多くの人までが捕まり、拷問にかけられ殺されることにまでなったのである。
次第に強くなっていく政府の国民への締め付けの歴史を見ると、戦前と同じ空気を感じるようになって来ている。今やそろそろ民主主義の限界を超えて、引き返しの効かない限界点に近づいて来ているような気がしてならない。
その上、今回は日本がアメリカの属国であり、アメリカの意向に従って日本政府も自衛隊も動くことになることから、危険はさらに大きくなると見なければならない。アメリカは当然アメリカ自身の損得勘定によって動くものであり、決して最後まで日本を守ってくれるものではない。ウクライナでの代理戦争の過程を見てもわかるように、日本が代理戦争をさせられる恐れさえ大きい。
私はもはや90歳を超えているので、どう転ぼうと再び祖国の破滅に会うことはないであろうが、やはり生まれ育った国や、近親その他の世話になってきた人々が二度と惨めな目に遭うのは本当に忍びない。何とかここらで破滅への道から外れて欲しいものだと願うばかりである。
(本文は数年前に書いた文に手を加えたものです)