戦争は軍隊だけがするものではない

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 先にも書いたように、わが国の最近の軍備増強は異常である。それも上記のすべての戦争に関わってきたアメリカの手下の同盟国としての軍備増強であるから、それが日本の防衛に役立つというよりは、どこかの戦争に巻き込まれる恐れの方が遥かに大きいと見ておかなければならないであろう。

 折角の戦後の平和憲法のおかげで、この70年間戦争のない平和な生活を維持出来てきたのに、わざわざその憲法を変えてまでして、アメリカに協力して軍備増強を図るなど、愚の骨頂とも言えるのではなかろうか。しかも、戦後から続いてきたアメリカの支配する世界秩序も、最早そのままでは続き得なくなってきている。

 上の表でもわかるように、今後の戦争はこれまで以上に軍隊だけでなく、国民をもすべて巻き込まないでは済まないので、先の日本の敗戦の惨状から見ても、今度戦争が起これば、おそらく国民の”全員殺戮”、全文明の破壊とまではいかなくとも、略それに近い惨状になることは避けられないであろう。核戦力が用いられ、戦域は宇宙空間にまで及ぶ電子戦争になるであろうから、人類の滅亡にまで繋がりかねない。

 これを避けた局地戦は、大戦以後、主としてアメリカが地球のあちこちで仕掛けてきたが、膨大な武器を消費して多くの住民を殺戮して、一部の者を儲けさせただけで、多くの人たちを不幸のどん底に落として、結果はすべて失敗に終わったことは歴史が示している通りである。

 これらを考慮すれば、もはや戦争は軍隊がするものだとは言っておれないであろう。先の大戦以上にすべての人を巻き込んで、すべての人の日常生活を破壊し、文明そのものの滅亡にまでも繋がらざるを得ない必然性を持ったものにならざるを得ないであろう。

 先の惨めな戦争を経験した人が少なくなり、戦争を知らない人が増えるのにつけこんで、周辺国の危機を煽ったり、国際貢献だと言ってあちこちへ自衛隊を派遣したり、

アメリカに言われうままに大量の武器を買い込んだり、南西諸島の要塞化を急いだりと、戦争の準備をし、憲法まで変えて戦える国造りを進めようとしている政府に危機感を感じないではおれない。最近の世相を見ていると次第に無謀な戦争を始めた昭和の初め頃と似てきているのが恐ろしい。

 最早、世界の大きな矛盾を解決するには、勇ましい武力で勝敗を決することにはなり得ないであろう。次に戦争が起きれば、この狭い日本では自分が家族もろとも殺されることを覚悟しなければならない。世界大戦とならば人類の破滅である。それを避けて人類が生き延びるためには、地道な外交を通じての話し合いしか道は残されていないのではなかろうか。