先制攻撃しても戦争放棄の憲法違反にならないのか?

 上に掲げた文面が日本国憲法の第九条の条文である。我々国民はこれを元に政府に政治をするよう委託しているのである。

 この条文と現在の政府が実行している政治とはあまりにもかけ離れていると思わない人はいないのではなかろうか。朝鮮戦争が始まり、アメリカに言われて自衛隊を作った頃は、自衛隊は文字通り自衛のためだけのもので、軍隊ではないと言っていた。戦車を持つようになっても、戦車と言わずに特車と言っていた。

 それが今ではどうだろう。軍事予算は国家予算の2%、世界で3番目の規模の軍隊を持つことになり、自衛隊は世界中何処へでも行くし、自国の防衛ばかりか、敵基地への先制攻撃も可能にしたという。誰がみても「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という憲法の文言と矛盾しているとしか言えないのではなかろうか。

 敵基地攻撃能力は誰が見ても、明らかにこれまで政府が軍隊の保有を正当付けてきた自衛の専守防衛の枠を超えている。相手の攻撃を躊躇させるためとの稚拙な言い訳は通用しない。相手が攻撃の用意をするなら、それに対抗してこちらも攻撃できるようにしようという反応が起こることは子供でも分かることである。相互の攻撃能力は保有は戦争の前夜である。

 それでも政府は今なお憲法に違反するものではないと、無理な言い逃れの論理を組み立てて、正当性を主張しているが、ここまで乖離がひどくなると、常識的に誰が読んでも、上の憲法の条文とあまりにもかけ離れてしまっていることに気づくであろう。

 憲法普通の国民と国の間の約束であるから、普通の国民が普通に読んで普通に理解出来るのが憲法の本来の意味であり、その前提の上で国民が政府に委託したものであり、ここまで現実と乖離すれば、もはや政府の屁理屈を通すべきではないであろう。

 政府もここまで来れば、これ以上屁理屈を通すことが無理なことを承知しているので、やがて時がくれば、憲法を守るのではなく、憲法を変えてこの矛盾を解決しようとしていることも明らかである。憲法から逸脱した犯罪的行為を、行為を正すのでなく、国民との約束である憲法を変えることによって乗り越えようとするものである。

 大日本帝国の消滅によって、折角獲得した国民の権利である平和憲法を守り、憲法を改正することにはあくまでも反対するべきであろう。決してあの無謀で悲惨な戦争を繰り返してはならない。