1970年の大阪万博の時に、当時の三洋電気が人間洗濯機というものを出展して話題を呼んだことがあった。「ウルトラソニックバス」と言い、直径2米ぐらいの丸いカプセルのような所に入り、頭だけ出して、ただ座っているだけで、自動的に体を洗ってくれるというものである。お湯が出、超音波で発生させた気泡で体を洗ってくれる。最後に温風を吹き付け、乾燥まで入浴の代わりを全自動でしてくれるものであった。物珍しいので興味を持たれたものの、万博の後に、それが普及することはなかった。
非常に高額な代物であったこともあるが、ゆっくり湯船に浸かって温まるといった、従来の日本人の入浴の習慣に合わなかったためではなかろうか。このアイデアはこの後あまり発展せず、介護用品として僅かに利用され、また全自動人間洗濯機の「サンテルバン999」というものもあり、細々とは命脈を保ってはいるようであるが、未だにあまりポピュラーではない。
ところで、私はもともと、お風呂に入るのがあまり好きでなく、長湯など、もっての他で、温泉へ行っても、多くの人のように、長い間湯船に浸かっているようなことが出来ない。よく「烏の行水」と言われたり したものであった。子供の頃も、普通に日本式の風呂を使っていたが、長くお湯に浸かっているのが嫌いで、よく「百数えるまで我慢してから出なさい」と言われたものであった。
そんな子供が大人になって、アメリカへ行って西洋式の風呂の使い方を覚え、日本でも浴槽がバスタブと言われるようになり、西洋式に似た小型で長細いものが普及するにつれ、入浴の仕方もいつしか洋式になってしまった。日本式の、まず湯船に浸かり、一度出て、外で体を洗い、また入浴するというようなやり方はしなくなった。いつでも蛇口から湯が出るようになったので、お湯を溜めて、家族が順にその湯に入るような習慣もなくなり、一人一人がそれぞれの湯を出して、それを使うようになった。
いつだったか、何処かで湯船の蓋を見て久しぶりに懐かしく思ったが、バスタブに蓋など考えられないようになってしまっている。湯船の中で体を洗うので、湯船の外を濡らすこともないので、いわゆる洗い場も無用なものとなっている。
どこかに、「認知症の年寄りが、まだ湯が入っていないバスタブに裸で入って云々」という記事があったが、私の入浴の仕方も、バスタブへの湯を出したら、すぐに中に入り、湯を注ぎながら、その湯を使ったり、シャワーに切り替えたりして、頭を洗い、体を洗って、お湯がバスタブに一杯になる頃には、もうあらかた洗い終わっており、後しばらく体を伸ばしたりして、少しリラックスしてから、そのまま出てしまう入り方である。
歳をとってからは、意識して、石鹸も最低限しか使わないようにしているので、最後のシャワーをも使わないで出ることも多い。浴室の暖房や冷房もしているので、短時間の入浴でも困ることはない。シャワーだけで済ますよりは長い目で、ゆっくり湯船に浸かるよりはずっと短い時間で入浴出来るし、それで結構レフレッシュした感じは得られている。
バスタブの中では、リラックスするというより、殆どの時間、身体を洗うのに、手も足も動かし詰めで、静かに手足を伸ばしてゆっくり湯に浸かるという時間は少ない。初めから終わりまで運動をしているようなものである。
こうなると全自動人間洗濯機が懐かしくなる。それに入れば、何もしなくても、勝手に洗ってくれるので、こんならくちんなことはないであろう。昔と違って、私のような入浴の仕方をしている人も増えているのではなかろうか。それに世には老人が多くなったことだし、全自動人間洗濯機があれば、体の不自由な人にも便利だろう。介護施設などでも、入浴が一番問題なのである。
そろそろ低価格の全自動人間洗濯機のようなものが流行ってきても良いのではないかと思うが、私一人の夢に終わるのであろうか。如何であろうか。