歳を取れば諦めが大事

 歳を取れば誰しも体力が弱り、それまで出来ていたことが次第に出来なくなるのが悲しい。

ずっと続けてきた毎月の箕面の滝までの散策も、もう今年になってからは出来なくなったし、散歩の行動範囲も、以前は池田から隣の石橋や川西まで歩いて行っていたのに、もう今では電車に乗らねば行けなくなってしまった。

 梅田界隈など、以前はよくあちこち歩き回ったものだが、もう電車に乗って梅田へ出かけることさえ億劫になってしまった。免疫性血小板減少紫斑病にかかってしまってからは、危険を避けるために遠出は遠慮した方が良いことも関係して、どうしても行動範囲が限られてしまうことにもなった。

 足だけではない。体全体が疲れやすく、炬燵にでも入れば、出るのに何度「どっこいしょ」と掛け声をかけないと抜け出せないことか。家の階段でも、14段の曲がり階段を2階まで上がるだけで足が疲れてやれやれということになる。

 五感も衰え、以前にはよく見えた目も、今では片目で見ているようなもので、それもピントが甘くなり、しばしば読み間違いをする。漢字など譬へば、「焦る」とあるので、何をそんなに焦るのかと思ったら、「集る」だったりするし、耳も聞こえ難いので、会話の輪に入り難い。「梅」が好きだというのをてっきり「海」が好きだと聞き違えたりする。

 匂いなど更に感じなくなり、外から帰って来た娘が「今日はカレーなの」と言うのを聞いても、食卓にいる私にはカレーの匂いなどしない。鰻屋の前を通っても鰻の匂いがしないし、花の香りさえ分からなくなったのは悲しい。

 自分の両脚は他人に見せられないが、太腿の付け根から足の先まで、びっしりと小さな出血斑の後がいつまでも残っている。自分の体や能力にケチをつければキリがない。病院では特発性血小板減少性紫斑病と診断されている。

 歳を取らない人はいないし、誰しも必ずやがては死んでいくのである。96年もの長い間、良くも生きて来たかものである。もう友人達も、もう皆既に先に逝ってしまっている。父の死んだ歳をも超えた。自分の番が回ってきても当然である。もう長くは生きていないであろう。

 そう考えると体の衰えも当然のことであろうし、恐れることはなく、諦めるべきで、これまで自由に老後の生活を楽しませてもらったことに感謝し、むしろ現状を楽しみ、いつかは必ずやってくる死を待つべきなのであろう。