今浦島

 2019年11月に真鶴半島に旅行した折に、急に脊椎管狭窄症になり、MRI検査を受けたのが12月1日であった。幸い脊椎などの骨には異常はなかったが、間欠性歩行はなかなか良くならなかった。

 そのため、年が変わってから薬だけでも貰いに行こうかと思い、病院に再診の予約を入れようとしたが、なかなか電話が繋がらず、また掛け直してみようと思っているうちに、コロナが流行り出し、こんな時に混雑した病院などには行かない方が懸命だろうと思って、受診を諦めたものだった。

 それ以来コロナは流行るし、足は歩けないので、時々行っていた仕事もすっかりやめて、家にいることとなった。幸い足の方は一年近くかかったが、間欠性歩行なしに、歩けるようになったが、コロナがますます流行し、老人は出来るだけ出歩くなと言われて家に留まることが多くなった。

 歩けるようになったとはいえ、歩行は遅くなり、不安定になり、遠路や急坂、階段の多い所、夜間などは避けた方が良く、自然と以前のように自由に歩き回ることは出来なくなってしまった。

 以来、今日まで既に3年にもなる。その間に医師会の会合などもなくなったり、ズームになったりたりして、殆ど大阪へ行く機会もなくなってしまった。避けられない用事で梅田や天満あたりへは行ったことがあったが、以前毎日のように通っていた御堂筋や、船場界隈、医師会のある上町方面へはもうずっと行っていないことになる。

 その間に、そこらがどう変わったのかもう何もわからない、そんなことで一度様子を見に行きたくなり、先日、梅田に用事で出掛けて折りに、足を伸ばして淀屋橋まで一駅地下鉄に乗り、一番南の階段から地上に出て、梅田まで御堂筋を歩いてきた。

 辻々のビルや通りの佇まいの変化はそれほどでもなかったが、一番驚いたのは、淀屋橋の御堂筋の入り口にあたるところが両方とも広大な空き地になり、ビル建設の用意が進んでいることであった。東側の旧勧銀のビルは全く姿を消し、その南のビルも無くなって日生ビルの北側までが更地となって新しいビルになるようである。

 こちらについては、建て替えて高層ビルができる話があったのにいっこうに進まないなと思っていたぐらいだったが、西側のそれと同じぐらいの広さの建築用地については全く知らなかったばかりに驚かされた。以前は石原時計店や水野スポーツなどの小さなビルが密集していた所だったのに、今や全て取り壊されてしまって新しいビルの用地になってしまっている。

 更には、そこから土佐堀川越しに北を眺めると、13階建ての三菱のビルが見られたものだったが、そこがどうなったのか、超高層の新しいビルが建築中になっているではないか、3年も経てば都会の顔も変わるものである、大きな建物の外観の変化以上に、詳しく見れば、はるかに多くの変化に気がつくことであろうが、今回は時間の関係もあり、大雑把に見物しながら梅田まで引き返してきた。

 次回は心斎橋か難波まで地下鉄で行き、そこから淀屋橋まで御堂筋を引き返して、変化を確かめてこようかと思っている。今浦島の大阪見物というところであろう。